「もうFIREできる!」と実感したタイミングはいつだったか
以下に回答しています。
30歳で配当金が月20万円を超えたとき
30歳を迎え、配当金が月20万円を超え、「お金より若年期の自由な時間のほうがはるかに貴重だ」と心から思うようになったときです。
1日でも長く会社にいたほうが、給与を得て資産額や配当金は確実に上積みできます。
しかし時間も確実に過ぎ去ります。加えて、数字は追えどもキリがないですね。
月20万円の配当金を得た当時、次は月30万円ほしくなるであろう人間心理は容易に想像がつきました。
安定した給与を得てお金を上積みするよりも、若いときの自由で主体性のある時間を優先したとも換言できます。
加えて、「上司ガチャ」という言葉がありますが、そうした「自分の主体性では変えにくい状況」も背中を押してくれたと思います。
退職=「給与分、収入が減る」とはかぎらない
そんな声もありました。しかし「収入のうち、給与分が純減はしないだろう」という確信に似たものがありました。給与を失う反面、自由な時間が増えるからです。
加えて、当時、
などの概念を打ち出し、反響がありました。新たな収入が生まれるだろうという自負も当時あったと思います。
大学時代に留学して以降、「努力してきた」と言える20代を過ごしたことで、そうした自負を持つに至ったのだと思います。
「今までがどうか」より、「今後どう生きるか」
FIREした当時の資産は7,000万円でしたが、3,000万円であろうが5,000万円であろうが本質的な差異はなかったと思います。
なぜなら、結局、会社をやめる時期が若ければ若いほど、退職後の人生が長くなるわけなので、その後の人生をどう生きるかのほうが影響としてよほど大きいです。
つまり、今がどうこうよりも、将来どう生きて、どう社会と関わって、結果的にどう収入を得るかのほうがよほど影響として大きいと思います。
お金ではなく、ドーパミンが人間を規定する
資産を築いて思うのは、「よほど物欲や見栄欲がないかぎり、自分のために使うお金を使う効用は徐々に下がっていくのではないか」ということです。
それよりも、家族や身近な人、そしてそれにとどまらず、本当に大金があれば寄付などで広く人々のために使える余地が広がります。
結局、お金の多寡よりも、
- 人との関係性や、
- ともに協力したり、ともにたのしむこと、
- ともになにかに挑戦すること
などのほうが、人間の幸福度に寄与すると思います。
結局人間の脳は古来より大きな変化はなく、生存に適するように進化してきたであろう脳の構造やドーパミンという快楽物質にある意味で左右される部分があります。
体を動かす、人と意思疎通をする、生殖をふくむ本能に沿った行為
言ってしまえば、そうした人間本来の自然な生活、そして動物としての本能に沿った生活様式というものがモノをいう領域は確実にあると思います。
まとめ
結局「お金」というものは、金本位制から変動相場制へ移行した時点で、
- それ自体に価値があるモノではなく、
- 政府の信用が担保となっているだけの「モノやサービスをやりとりするための媒介手段」
でしかありません。
ある意味で、人間本来の動物としての生活とは直接的に関わりのないものです。
ではなにが直接的に関わるのか、それはやはり原始時代より生存に適した形で進化してきた脳内の神経伝達物質(例:ドーパミン)です。
神経伝達物質がある意味で私たちに大きく影響しているのであって、お金が規定しているわけではありません。お金はやはり道具(しかし有用な道具)にしか過ぎないということです。
したがって、「FIREできる」と思うタイミングは本来的にはお金の多寡ではなく、その後の生き方のほうが本質的にポイントになるかと思います。お金は「あったら安心、精神的な保険」みたいなものですね。
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