FIREを達成すると、人は大海の魚となる
FIRE(経済的自由・主体的に人生を描く)を達成後、時々思うことがあります。
「初めて泳げた時と、似てる感覚あるなぁ」
なんやろう、このワクワク感。
どこに行ってもいい、なにをしてもいい。眼前に大海が広がっている。
ここからオホーツク海へ行こうが、ベーリング海へ行こうが、インド洋へ行こうが、はたまた喜望峰へ行こうが、自分次第。
寄り道してもいい、自力で泳いでもいい、大陸棚を通ってその先のサンゴ礁で休んでもいい。なんならイルカの背びれにそれこそ便乗したっていい。
もっと言うと、なんなら目的地まで、まずは乗り物を作ることから始めてもいい。そのための勉強から始めたっていい。気に入れば、乗り物を作ることを生業にしたっていい。
眼前に限りない世界と可能性が広がっている。まだ次世代へバトンを渡すには、いくばくかの時間もあるだろう。もうすこし、自分へのベクトルも少しは向けていてもいいだろう。
いずれそんな余裕はなくなるかもしれない。だからいま、この瞬間は、ワクワクしながら眼前の大海を自由に泳いだっていい。限りある時間の中で、こうして思う存分、自由に泳ぐために、今まで必死にがんばってきたのだから。
先日も、ふらっと外に出かけた時、ほとんど制約もなく、なにかこう、自由に泳いでいるような感覚を覚えました。
- 見たいものがあれば、見に行き
- 会いたい人がいれば、会いに行き
- 食べたいものがあれば、それを食べ
- 行きたいところがあれば、そこへ行き
- 幸いにも人に感謝していただけることがあり、もちろん自分も感謝し、
泳いでいる。歩いているというより、泳いでいる。闊歩している、いや、言うなれば、闊達なさまで、泳いでいる。
大海というフィールドを新たに与えられた魚のように。
稚魚ではなく、小魚でもなく、親魚になる一歩手前。
街を歩いていても、歩いているというより泳いでいるような感覚。まるでどこまででも行けてしまうかのような。経験という羅針盤もある。見守る人々もいる。
人はどうやら、まことなるFIREを達成すると、大海の魚となるようです。
Best wishes to everyone.