憧れの「FIRE」、自由と引き換えに安寧を失わないために
「憧れのFIRE、やってみたら思ってたのと違った。早期退職者5人が自由と引き換えに失ったもの」という記事を目にしました。
一部を以下のとおり引用します。
コバートは、36歳という若さで自分自身の自由を求めて退職した。幸いなことに、退職ポートフォリオと証券口座には十分な蓄えがあった。コバートの両口座の残高は50万ドル(約7250万円)近くある。(中略)
FIREはさまざまなメリットが謳われている。勤務時間中にエクササイズができる。世界中を旅したり、家族との時間を増やしたりすることもOK。趣味を追求するもよし、夢だった起業をするもよし。フルタイム勤務からも解放される。
FIREに踏み切った多くの人たちがこれらのメリットを享受する一方で、コバートら早期退職者5人は、安定したキャリアがもたらす目的意識や、毎月の給料が保証される安心感が失われたことについて嘆く声も聞かれた。
FIRE(早期退職)ムーブメントは1992年に提唱されて以来、いまも人気が高まり続けています。時間の自由がきく、やりたいことに打ち込めるなどメリットはあるものの、実際に早期退職をした5人に話を聞くと、必ずしも“バラ色の日々”とはいかないようです。
要約すると、FIRE達成者5人は以下の現状があるそうです。
- 自由は手に入れたが、それと引き換えに「資金が底をつくのではないか」という不安と隣り合わせ
- 収入を失うことで、家計の収支を強く意識して、わずかな支出も重く感じるようになった
- FIREには旅行や家族との時間を増やすなど多様なメリットがあるが、かぎりある貯蓄に頼って残りの人生を過ごす難しさを感じている
なるほどたしかに一定の説得性があります。ただ、この3つに共通して言えるのは、下線で示したように「定期収入を失う」という前提条件が付されている点ですね。
対策:「減りゆく状況」を回避して「生産」する
では解決策を提示してみましょう。
人間はいったん得たものを失うことに強い拒否反応を示します。
- 財を築けば失うことをおそれ、地位を得たら手放すことをおそれる、といった具合に
- お金持ちはさらにお金を増やしたがり、いったん人気を博した人はその地位を失うことをおそれて走り続ける現象など
こうした心理を踏まえると、定期収入を失うことによる喪失感を避ける対策としては、減りゆくものをただ眺める「ジリ貧」を避け、「生産」がキーワードになると思います(ただ、人生後半になるほど、何かが減りゆくことを受け入れていく段階になると想像します)。
- 定期収入を生む資産を持つ
- 現物収入を得る
生産①:定期収入を生む資産を持つ
私が配当の出る株を主に買ったのは、資産運用の出口を考えたとき、「取り崩し」という行為に心理的な抵抗を感じるだろうからです。
冒頭の記事に出てくる人によると、「かぎりある貯蓄に頼って残りの人生を過ごす難しさを感じている」そうです。やはり「取り崩す」「減っていくのを眺める」という行為はあまり心地いいものではないでしょう。
したがって、その発想を崩すことが一手ではないでしょうか。
取り崩さず、鶏が卵を産むがごとく「生産」に近いイメージを持てる配当金はやはり有効かと思います。
実態は取り崩しと同じなのですが、「取り崩し」と「生産」には、心理的な印象に大差があります。
実際、たとえば月30万円の配当があれば、「固定費10万円をのぞくと、1日7,000円近く使えるな」といった目算が立ちます。増配株ならば増えていくイメージを持てます。
このように、理論上は配当は取り崩しとほぼ同じですが、人間心理は定期収入(配当)に安心感をおぼえる傾向がみられます。
高配当株に根強い人気があることがその証左でしょう。配当は人間心理に訴求力があります。これは私自身ブログで配当積み上げを発信してきて実感しました。
以上はストックとフロー、投資手法の観点から、「FIRE後に抱えやすいであろう金銭的な不安」に対処する一策を挙げました。
次はそもそも貨幣から離れた発想です。
生産②:「現物収入」を持つ
自由を求めてFIREしても、株式のみでは結局金融市場に依存することになる。
そのため、
①事業や不動産等による現金収入
②農業や家庭菜園による現物収入などもあると、精神的・社会的にもより豊かな生活を楽しめると思います。
社会と接点を持ち、時代の流れを感じれば時流も読みやすいかも。
— 穂高 唯希|新刊 #シンFIRE論 (@FREETONSHA) May 5, 2022
これはぜひやってみてほしいのですが、実際に自分の手で「食料」という人間が生きる根幹となる現物を得ると、考え方に変化を感じるはずです。
私たちは貨幣経済に生まれたので、お金そのものに価値があるような錯覚をおぼえがちです。しかし現代の貨幣は、価値の裏付けはなく、政府の「信用」に依拠しているだけ。実在価値はありません。
実在価値があるのは「現物」です。農作物、貴金属、土地、建物、水源、薪、知識、ご近所との関わり――。
ちょっとした田舎に暮らしていると、ご近所から野菜を食べきれないほど頻繁にいただきます。
こちらも育てた野菜をお返し(と言ってもいただく量の方が多いですが)。
こういう繋がりと支え合いは大切に思うとともに、田舎の食の豊かさも感じる。 pic.twitter.com/w36vQ3G51i— 穂高 唯希|新刊 #シンFIRE論 (@FREETONSHA) August 4, 2022
とくに田舎は、近所と互助関係を築いていれば、農作物の交換など、平時も有事も助け合いという安全網ができます。
これはFIREうんぬん関係なく、有事の支えとなり、平時は日常が豊かになります。むしろ都市化前はそうした営みが日本で一般的だったのでしょう。
たとえば、農業体験はいろんなところであります。
農業体験募集中🙆♂️
週末の土日どちらかに開催。
時間:9時〜12時まで
持ち物:手袋、汚れても良い靴・服装、野菜持ち帰りの袋、飲み物、着替えなど。
場所:埼玉県日高市新堀(詳しくはDMします)自然栽培で野菜づくりを体験でき、その時の旬の野菜を持ち帰れます。
DMにてご連絡ください。
— ののの農園@家庭菜園 (@nononofarm) May 19, 2022
私も近所の有機農家さんを訪ねたことがありますが、鶏糞が手に入る場所など快く教えてくれました。近くに水源がある、自宅に薪ストーブと薪がある、太陽光パネルで発電できる、などならなおよし。
こうした「現物」こそが、人間本来の生活と心理に即したものであり、冒頭のような「金銭的な不安」に対処する一策として挙げました。
「収入を失う」という前提から脱し、「共有」する
ではもっと根本的なこと。つまり、そもそも収入を失うという前提を再考することです。
これは、逐語訳原理主義的な考えを持つ人からすれば、「それはFIREではない」という論もあるでしょう。
しかし弊ブログが一貫して述べてきたように、早期退職しようが「自分の専門性や趣味をいかして、役に立ち、結果的に収入(信用)も生まれる」という人生の営為を、語義に縛られて制約する必要はありません。
この営為は、人間の社会的承認(≒貢献欲)を満たし、人生の充実にもつながります。
「でも、専門性や趣味で収入を得るなんてどうしたらいいの」と思う人は、「知・体験の共有」を意識すれば、ありきたりな日常が立派なコンテンツになる可能性を秘めています。
失敗談、旅行記、投資実績、人生でもっとしておけばよかったこと、買ってよかったもの、洗濯機を買い替えるときに量販店で質問してわかったこと――。
自分であたりまえだと思っていることでも、それを知らない人は市井のどこかにいます。ありきたりとうしろむきに考えずに、「知・体験の共有」を重ねることが肝要かと思います。やっていくうちに発見があります。
最近では日常のリアルを発信するおばあちゃんのYouTubeや、未亡人のYouTubeも人気です。
手前みそながら、私もそうして継続するうちに、ブログが第二の盛期を迎えています。「知・体験の共有」を重ねてきたからだと理解します。
まとめ
- 定期収入を生む資産を持つ
例:取り崩しより「生産」のイメージが持てる配当金 - 現物収入を持つ
例:近所との互助、家庭菜園、農業を学ぶ、電気や水の確保・自給策 - 社会承認と貢献欲を満たす
例:知・体験の共有
ちなみに、以上挙げたものはFIREするしないにかかわらず、普遍的に言えることかと思います。
不安や喪失といった負の感情があるならば、その背景になんらかの原因や人間としての心理反応があるはずです。
それを客観的に見定めることができれば、おのずと具体策が浮かぶはずです。やはり客観視は、自分の人生を方向付けるために重要な要素になると思います。
もっとも、不安という感情を根本的に消し去るには、
- 「これ以上はやれない」と言えるぐらい力を尽くす
- 未来は不確実でそもそもコントロールできないと悟り、未来をコントロールしようとする執着を捨て、ただ不確実性を受け入れる
といった精神に焦点をあてたものになるのでしょう。
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