「FIREして不安はありませんか?」と聞かれることがあります。
取材などを受けていますと、「FIREされて、今後どうなるかという不安はないのでしょうか。保険もなく、明日大病に侵されたり、市場が暴落したりといった不安はありませんか」とご質問をいただくことがあります。
これは興味深い質問です。最近も同じご質問をお受けしたのであらためて記してみます。
不確実な不安より、確実な事実がある
不安というのものは、不確実な将来に対して生じる感情です。
では逆に確実性の高いことってなんでしょうか。それは「人生は1度きり」ということですね。
不安というものは、人間、考えだすとおそらく尽きないものではないでしょうか。それこそお金と同じで、キリがない。キリがない不安を理由に、1度きりの人生の選択肢を消すことほど本末転倒なことはないと私は思います。つまり、「不安」と「人生における意思決定」は、まったく優先度が異なる両者であるということです。
そもそも不安材料というものは、私は探さない性格のようです。なぜ「ようです」と書いたかというと、質問されてはじめて「あ、そういう発想もたしかにあるか…」と気づくぐらいだからです。
不安というのは、探せば探すだけ自らの可能性を閉ざすもの。「できない理由」を探すことと、まったく同じですね。「できない理由」も「不安材料」も、探せば探すだけ自らの可能性を閉ざしやすい。
- こんな年齢だから、
- 〇〇だから、
- もしこうなったら、、
もちろんリスク評価をするために、あらゆるシミュレーションを行うことは大事です。ただしリスク評価は理論的なのに対し不安を探すのは情緒的です。まったく別物。
不安って、「行動してない」から生じるのでは?
私の場合は心配だという発想があまりないんですね。ある程度自信があるというか。
- 明日いきなり資産が0になっても、なんとかなる
- 明日インドに放り込まれても生きていける
- 土と種があれば、作物が育てられる
たとえば何の準備もなく明日からインドに放り込まれたとしても、現地の人と凄く仲良くなって、深い関係を築いて、言葉も最速で学んで、そこで生活していくだけの力が自分にはあると思っています。
これは根拠のない全能感に浸っているのではなく、今までの経験に裏打ちされた確たる自信によるものです。
留学時代、全力で努力したと胸を張れるだけの自負と結果を得ました。北京大学の教授には、今まで見た留学生のだれよりも上達が速いと言われ、実際に留学半年後の共通語学テストで全留学生中1位でした。
試行錯誤して、悩んで、悩んで、1秒も無駄にしない勢いでごはん食べてる時もベッドに横になる時も、とにかく考えて行動しまくりました。
周りがなにをやってるかとか関係なし。いかに文章を覚え、外国語で会話する時間を1日の中で最大化する工夫をしつつ、現地の人といかに多く、幅広く、深い関係を築き、いろんなものを見て、触れて、見聞を広めるか。
その過程の中で、人生全般に通じる多くのことを学びました。中国語の学習で、語学学習のポイントは完璧に押さえたと思っています。ゆえにモノになっていなかった英語の帰国後ブラッシュアップも実際に早かった。
ちなみに語学も本質となるポイントを押さえてしまえば、応用が利きます。1言語マスターした人は、2言語目・3言語目のマスターが速いのはそういうことです。4言語習得した人とか北京大にはよくいて当初ビビりましたが、今では理解できます。
日本で不安を探すってどういうこと?
ましてや日本だったら、それこそなんとでもなると私は思います。色々な側面はありますけども、日本みたいに
- 温室で、
- 公的扶助・セーフティネットが整っていて、
- 必死にならないと生き残れない危機感は少なくて、
- 夜に警戒せずに出歩くことができて、
- 地下鉄でスリを心配する必要もなくて、
- 言語が通じて、
- 十全ともいえる国民皆保険制度があって、
- 過酷な気候でもなく、
- 食べ物はおいしく、
- 清潔で、
- 医療が行き渡っていて、
- 概して激情型というより柔和といえる国民性で、
- 人種差別もなく、
- 基本的人権が一定程度は尊重されていて、
- 所有権が認められていて、
- 排他的な階級社会が支配的でない
っていうこんな恵まれた環境なかなかないと思います。もちろん、各論や個別事情はいろいろありますけども。どれだけ恵まれているのか。外国で多様な経験をすればわかると思います。
結局、お金も求めすぎるとキリがないですし、不安も探すとキリがないですし、環境をあら捜ししてもキリがないです。それを解消するには具体的に比較例(たとえば日本の恵まれ具合を見るには、海外がよい比較例)を自分の目で見て、俯瞰的に達観することです。
FIRE後は農業も重視してきました。農業もだいぶ要点を押さえられた気がします。作物によって違いはあれど、概ね土と種があればなんとかなりそうです。
不安なんて日頃からそれなりの行動をしていれば、なんら気になるものではない。行動してたらそもそも不安になるという発想がなくなるはずです。
じゃあ「不安から考える」という発想をそもそもなくすには、どうしたらいい?
努力したら必ず報われるとは思いませんが「一回、最大限の努力をしたら、たいていのことはなんとかなる」と思えるきっかけぐらいにはなるんじゃないでしょうか。
ただしもちろん興味ないことに最大限の努力をするなんて苦痛でしかないでしょうから、やはり好きなことや興味の持てることが対象になるでしょう。
そういった経験を増やしていけば、不安から考えるという発想そもそもが消失するはずです。全員そうなるかはわかりませんけども。
少なくとも今の日本は、(もちろん全員とは言いません)
- 多くの人が必死にならずとも生きていけて、
- 必死にならずともある程度の生活が制度的にも保障されやすい
んですよね。
これはよい面もあり、わるい面もあります。恵まれているということは、裏を返せばハングリーさ・自助努力を失いやすい、他責になりがちということです。
それゆえに、個々人の生き方や考え方の差は人によって大きく開いていく時代でもあるのだと思います。
資本主義というより、一部の洗練・確立された思考や能力が支配的になるという意味で「才能主義・個人主義」の傾向が強くなっていくでしょう。
あなたはどう生きるのか。
それが厳しく問われていく時代になっていくのかもしれません。
そのためには、1度きりの人生を、全力で生きることではないでしょうか。
もちろん、漫然と生きる人生もまた1つですね。正解はないし、人によって幸福の定義は異なるし、感じ方もそれぞれです。同じである必要もまたないですね。
さて、以上見てもわかる通り、お金の話題がぜんぜん出てきませんでした。お金は結局本質的な対象ではないんですよ。手段とか保険になることはあっても、媒介手段にすぎないお金それ自体が本質にはなり得ない。
米国株だって不動産投資だって、過去の実績などさまざまな条件・前提の上に成り立っているだけで、その前提が崩れればあっさり瓦解するでしょう。本質的に依拠するものではない。本質的に依拠できるのは、やはり自分の思考であり、能力であり、知見ですよね。
FIREにかぎらず、何をするにしたってリスクはあります。人生の意思決定すべてにおいてリスクは内在します。リスクフリーなんてそれこそ先が見えてつまらないし生存本能や危機管理能力は退化するし、リスクがゼロなんてありえない。
何をするにしたって人によって結果も感じ方も異なります。そのリスクを楽しむ人もいれば、気にも留めない人もいれば、不安に感じる人もいる。そのリスクをどうとらえ、なにを糧にするかは当人次第と思います。
こんなことを自信満々に書いてて実際インドに放り込まれたら2日目に挫折してるかもしれませんw
Best wishes to everyone.
コメント
毎回三菱様の記事を読んで、感動と一言ではいい表せないインパクトがあります。
あなたのように、頭もよく、考え方も素晴らしい人って今までいたかなと思わされます。
私は50歳でリタイア、特に投資で成功したわけでもなく、たまたまいい会社に入れて給与もたくさんもらえて、知らない間にリタイアできる額まで到達しました。(振り返れば、毎日ストレスにさらされる仕事でしたが…)
ブログをやるわけでもなく、周りにリタイアに共感してくれる人もおらず、唯一の楽しみであった海外旅行もいけず、本来なら人生を謳歌してるはずが、世間とかかわらずなぜか後ろめたいような気持ちで、過ごしています。
性格的なものもあり、このような気持ちはなかなか払拭できませんが、唯一
三菱様のブログを読むと、気づかされることが多々あり、きっとこの生き方でいいんだろうという気持ちになります。
年下の方ですが、とても尊敬しています。
これからも、ブログ、執筆本を楽しみにしています。
頑張ってください。