映画【海賊と呼ばれた男】
日本人が忘れつつあるものを思い出させてくれる
穂高 唯希
そんな風に思わずにはいられない映画でした。日本のすべての人に観てもらいたい映画です。
この映画は本当にいろいろと考えさせられました。自分の生き方・指針・目標に至るまで。
今の日本に失われつつあるものが詰まっている。いま果たしてどれだけこういう熱い思いを持ってる人がいるのか。
- ある意味で、そういった熱い思いや他国・世界に負けたくないという気概を強烈に抱かずともやっていけている、
- ある意味で、現状維持でもやっていけている
そういう恵まれた、満たされた国の現状があるからこそ、本作当時ほどの熱量がなくとも、なんとなく最低限の生活は保障され、生きていける時代なのかもしれません。
穂高 唯希
私はこう思いました。
日本人同士で同じ目線・土俵でなにかを論じ合っているのは、ちっぽけすぎる。目線をもっと外に向けないと。
この時の日本は熱い人が多かったのではないでしょうか。こういう先達のおかげさまで、今の日本がある。
本作の概要
本作は、現・出光興産の創業者「出光佐三」をモデルとした国岡鐵造が主人公の映画です。
当時、石油メジャー勢の傘下に次々と収まらざるを得ない中、唯一の民族系(自国資本)石油会社としてメジャー勢との不利な戦い、戦争、戦後復興など尽力する姿が描かれています。
心理面だけを観点とすれば、今のスーパーメジャー勢より日本の会社に応援を込めて投資したくなります。
作中で印象的だったシーン・セリフ
恒例の「作中でメモったシーン・セリフ」は以下の通りです。
日本人は必ず立ち上がる
「よう無事でいてくれたの。まずは言いたい。愚痴をやめよ。
戦争に負けたからといって、大国民としての誇りば失ったらいけん。なんもかんも、のうなっても、日本人がおる限り、この国は再び立ち上がる。
こん国は石油を断たれ、その石油を巡る戦いで敗れた。けどの、今後日本が世界の舞台に再び復活するには、必ずや石油が必要になる。下を向いとる暇はない!心配ばすな、一人も首にはせん。」
こういった誇り・気概を持って夢を語れる社長ならば、ついていきたいとさえ思える。そういう人は基本姿勢から生き方まで、まったく異なってくる。
「愚痴をやめよ。誇りを失ったらいけない。」
最初から見ている景色が、その他大勢と異なる
地べたに落ちてるもん拾うんは簡単や。
けどあんた、もっと高いところ見てるやないか。そらなかなかむつかしいで。
3年であかなんだら、5年や。5年であかなんだら、10年や。
なぁ、とことん、やってみよや。あきらめんと。な?
仕事がなかったら、作ったらよろし。それでもどうしてもどうにもならへんかったら、そやなぁ、そんときはもう、二人で乞食でも、やろか? はっはっは。
作中の国岡鐵造氏は、その他大勢の同業界の人々と比べて、見ている景色が最初から違う。この師匠も。
見ている景色は、人によってまったく異なります。
- 家族
- 周囲
- 自分が属する/属さない集団
- 自分が属する/属さない地域社会
- 自分が属する/属さない界隈
- 自分が属する/属さない国
- 属しない領域全般
目標があれば、達成されるまでひたすら続ければ、それは必達しますし、失敗したとしても、成功するまで続ければ、それは失敗どころのものではない。
さらにこの国岡さんが師事している師匠が大人物。こういう度量・泰然たる人を、私は尊敬します。
結婚に関する助言
- 師匠:夫の苦労を一緒に背負うてくれるような嫁はんが来たら、こりゃホンモンの果報もんや
- 鐵造:そうですね
- 師匠:けど それだけではあかん。夫のほうも嫁さんの苦労を一緒に背負う覚悟やないと。ま、それができたらちゃんとやっていけます。
- 鐵造:そげなもんですか
- 師匠:そげなもんや
「苦労を一緒に背負う」
熱量の有無
- 鐵造:何があかんと思う?
- 部長:この激しいインフラの中、金融業界は苦しさを増しております。おそらく、その‥
- 鐵造:違う!熱が足りんのよ、熱が! 部下たちが待っとんやろ?
これは単なる精神論じゃない。こういう側面は仕事にかぎらず諸事において確実にある。
なにが大切なのか
- 鐵造:つらいか?
- 店員:私はルソンにおりました。それに比べれば‥
(抱擁)
- 店員:店主!(油が付着することを恐れて
- 鐵造:そんなもん洗えば落ちる。
店員と一緒に泥臭い作業をしようとする店主。やはり実るほど頭を垂れている。
その他
ほかにも、「タンクを空にしようとして奮闘する店主・店員をGHQが見ているシーン」なども、ぐっと来るものがあります。こういうのは美しいんですよ。
私たち日本人が忘れつつあるもの
FIREする前からも、そしてFIREしてからもやはり思うのは、よくもわるくも、日本は一定以上のもので満たされているということです。それは本当によくもわるくも。
本作で描かれている当時は、特に戦後は、いわばマイナスからのスタートです。今よりも大局的に物事をとらえる人が多かったのではないかという気さえします(懐古主義ではありません、為念)
その時代に生きて全員にインタビューしたわけではないですし、描写がすべて事実に即しているとはかぎらないので、あくまで推論でしかありません。ただ、懐古に浸っているわけではなく、実際に親のさらに上の世代の人々と話す機会も多かったので、実感としてあります。その方々はもちろんいわゆる知識層だったからかもしれませんが、見ている目線が違うんですよね。ちっぽけな話をしていなくて、観点が俯瞰的かつ国際色豊かでした。
こういった人々、さらにその上の世代の先達の尽力・努力があって、今の日本があるわけです。その遺産で今の日本はなんとかなっている、そんな解釈も一方であるのだろうと思います。
同じ国に住む者同士が些末なことで小競り合いしている余裕なんて、当時はなかったというのもあるのかもしれません。ある意味で今は特定の領域で多少の余裕があるからこそ、些末な話題が世をにぎわしやすいのかもしれないですね。
じゃあ「当時が素晴らしくて、今はあかん」と言う意味ではありません。ただ、よくもわるくも、
- 誇り
- 熱量
- 克己心
- 人としての美学
こういったものを失いやすい世の中であり、時代背景であり、戦後教育の影響あり、といった解釈も可能なのかもしれません。こういったものは、苦難の時にこそ表出しやすいからです。
こういったものは、私は大切にしていきたいです。
Best wishes to everyone.
最近、時間を見つけては映画を観ています。なんらかの着想を得る材料の1つとして、一定の有用性は見いだせると思います。
具体的なことを言わずとも、語れる人は背中で語るんですよね。
背中で語ることこそ、親が果たす責務であるように思います。