私が映画を見る目的【学べることは無限に広がっている】
けっこう、物事の目的や意義を見いだそうとするタイプかもしれません。
漫然となにかをやっているよりも、目的・意義をある程度は見据えた上で行動することが比較的多い気がします。とはいえ、直感的・動物的な面も大切にしつつです。
漫然と意義なくなにかをする時間も息抜きとしては必要だと思います。ただし、ずっと漫然としていると、人生そのものも漫然としたものになりかねないですね。やはり私は、なにかしら目的や意義を見いだして主体的に動きたい人なのだと思います。
映画とは、とても勉強になるものである。
映画を見る際も、そういった傾向がみられます。
映画を見るのは、単なる娯楽目的というのもありますが、それに加えて
- 「作者が伝えたい主旨」はなにか
- 「作品から得られる教訓」はないか
- 「自分に応用できる部分」はないか
- 「映画で普遍的に描かれやすいもの」とは
- 「時代背景がどの程度影響している」のか
- 「主人公の生きざまに共感する部分」はあるか
- 「新たに学べる単語・英語・中国語」はないか
こういったことを考える傾向を、自分に見いだすことができます。読書と似ていますね。映画も同じです。いくらでも勉強になることは転がっています。
こうやって文字に起こすと、たいそうに見えるかもしれませんが、以下事項を意識していれば、自然にこういった行動に帰結する気がします。
目的の背景にある意識
- 人生は有限である
- どんな人・モノからも学べることはある
- 1つの行動・発言は、皮相的なものではなく、深遠な要素が表出している場合がある
人生は有限なので、どういう生き方をするのかが、1つの焦点になってきます。冒頭に述べた通り、漫然と生きていれば漫然とした人生になるかもしれません。
映画の主人公というのは、基本的になにかしら特徴がありますよね。なんの個性もない主人公というのは稀です。ですから、自分に投影することで、映画から生き方・信念・価値観の一例を見いだすことができると思います。
つまり、そこから学べることは、必ずあるということです。貴方がどんな嫌いな人であっても、相手は人間ですよね。学ぶことが皆無ということは、ないはずです。たとえその人が傑物にあらず、批評的な人であろうとも、他山の石とする(※)ことや反面教師とすることはできます。
また、こう考えることも可能です。1つ1つのセリフ、言動などは、あくまでその登場人物の価値観・人生観・トラウマなど数多の経験・知見の集大成となって、一見すると平凡な字句となって表れている場合があります。
「味わい深い」「味わい深い作品」という言葉がありますよね。こういった深遠な要素を見いだせることが出来る人は、こういった表現を使うのではないかと私は解釈しています。
1つの事象を見て、どれだけのことを感じ取れるのかは、人によって様々です。映画も同じだと思います。
1つの映画を見て、
- 何を感じ取り、
- 何を今後の人生に活かし、
- 何を学び取ることができるのか、
それは映画を見る当人次第ですね。
まとめ
以下再掲します。
- 「作者が伝えたい主旨」はなにか
- 「作品から得られる教訓」はないか
- 「自分に応用できる部分」はないか
- 「映画で普遍的に描かれやすいもの」とは
- 「時代背景がどの程度影響している」のか
- 「主人公の生きざまに共感する部分」はあるか
- 「新たに学べる単語・英語・中国語」はないか
- 人生は有限である
- どんな人・モノからも学べることはある
- 1つの行動・発言は、皮相的なものではなく、深遠な要素が表出している場合がある
とはいえ、意識しすぎても映画を楽しめなくなるので、バランスが重要です(笑)
今後は、人生の参考になると思しき「感じるものがある映画」もブログで紹介したいと思います。
Best wishes to everyone.
読書タイムを増やすとともに、映画タイムも機を見て増やしていければいいなと思います。
時間的に余裕があるからこそ、できることかもしれません。
とはいえ、FIRE・セミリタイアは手段でしかないので、目的意識がやはり大切ですね。