「若い時はお金なんて貯めずに使って遊べ」という言説

Twitter

「若い時はお金なんて貯めずに使って遊べ」という言説

ご質問

三菱サラリーマン様

いつも楽しく拝見しております。投資とは関係なくて恐縮ですが、ご相談というか、職場での悩みがあります。

「若い時はお金なんて貯めずに使って遊べ」という価値観を押し付けてくる職場の上司や同僚がいます。しかも、「使えば使うだけお金は戻ってくる」と言うのです。

私は資産形成に励みたいので、お金を貯めたいですし、お金を使って遊びたいとも特段思いません。しかし、私が倹約的な行動をすると、必ず幾人の同僚や上司がそれを阻止しようとしてくる節があります。

気にしなければそれで良いと思うのですが、気になります。三菱サラリーマン様ならどう思われますか?何かコメント等頂戴できますと大変うれしく思います。何卒よろしくお願い申し上げます。

もしかするとですが、その人自身が心のどこかではそのような倹約的・禁欲的な行動を取りたいと思っているため、禁欲的な行動を取れる貴方のような人を羨ましく思う結果、そのような行動として表出するのかもしれません。

価値観や考え方は多様であって良いが、、惑わされることもない

お金の使い方は色々な意見があると思いますし、使い方も価値観も人によって千差万別です。

  1. 若い時にしかできない体験をするためにお金を使うのも良し
  2. 若い時にしっかり貯めて投資資金を捻出し、人生全体で見て大きく複利効果を発現させるも良し

等々、色々な意見があってしかるべきですね。人生において、別に明確な正解はないのです。他人に迷惑をかけたり法を犯さない限りにおいては、現代資本主義・民主主義において、多種多様な生き方が認められています。

ただ「若年期のうちに資産形成を重視する」という価値観に照らし合わせると、「若い時はお金なんて貯めずに使って遊べ」「お金は使うだけ戻ってくる」という言説は、少々ナンセンスと言わざるを得ません。特に後者は通例戻ってきません。

まず、「若い時はお金なんて貯めずに使って遊べ」という文言自体に大いなる誤解が潜んでいます。

なぜなら、少なくともここ日本においては「余程特別な事象を除いて、基本的に多額のお金を使わずとも遊べる」からですね。

特に当人の工夫次第で金銭の消費というのは必ずしも多額にせずとも、同様のサービスを享受できます。以下関連記事は、まさにその一例ですね。

関連記事

着目すべきポイントは「お金を使うかどうか」ではない

「若い時はお金なんて貯めずに使って遊べ」という言説は、そもそも着目するポイントが大きくずれていると感じます。

そのポイントとは、「お金を使うかどうか」「お金を使った額の多寡」ではなく、「何をしたか」、「何を感じたか」、「誰としたか」これらですね。そこにお金の要素は入ってきません。

ただ、一方で色々な価格帯のレストランや社交場を経験しておくのは1つの貴重な経験ではあります。なぜなら、そのような場を知っているか否かは自分の世界を広げることに関わってくるからですね。

種々の経験をしておくに越したことはありません。多様な経験を通じて、自身が許容できる範囲や多様な価値観を受容できる土台ができるからです。

特に、1つの事象に対して1つの見方しかできないと、その裏を見通すことができません。

例えば、ある人から見たらAさんは

  • 「怠け者」
  • 「何事にもあまり打ち込めない」
  • 「ストイックでない」

と見えたとしましょう。そしてまた違う人から見たら

  • 「穏やかだ」
  • 「カリカリしない」
  • 「優しい」

など人によって見方も異なれば、その実、“表裏一体”だったりするわけですね。

なので、一概に物事を決めつけるのは難しいのです。そして1つの事象に対して、多様な見方をするには、やはり経験がモノを言うと思います。

どれだけ振れ幅の大きな体験をしたか、どれだけ異文化の体験をしたか、等々によって複数の見方が育まれるでしょう。

逆に、ある1つの共同体やある1つのコミュニティしか知らないと、物事の見方はどんどん単一的になりがちで、「正しい」か「正しくない」かという非常に表層的な判断軸で以て物事を見てしまうリスクが高まります。

「正しい」か「正しくない」かという判断軸で物事を判断するのは、往々にして危険。なぜなら、本来正誤で以て判断すべき事柄でないことの方が多いからですね。

例えば、「ストイックでない」というのは正誤で以て判断される事象ではありませんね。それは当人の性質であり、良い面にもなり、悪い面にもなり得るのです。一概に正しいか正しくないかで以て判断されるべき性質ではないのです。

つまり、「色々な経験を若い時にしておくことは大事」ですが、それは「お金を使うかどうか」とは必ずしも関係ないのです。

自分と異なる意見や見解に遭遇した時の考え方

人の意見は多様です、そしてその価値観も多様です、特に社会に出てからは自分と同じだったらラッキーぐらいでちょうど良いですね。

「人は生まれながらにして孤独」という言葉がありますが、私はこの言葉は嫌いではありません。

他人が自分を理解できるとは思わなくてよいと思いますし、本当に理解してもらえる人だけに理解してもらえれば御の字です。

違う意見はあって当然ですし、「ほほぉ~、そういう見解・意見もあるんだなぁ」ぐらいに構えておくことで、結局自分が楽になると思いますよ。

自分と異なる意見や考え方に出会った時に、過度にどちらかに肩入れせず、「そんな意見もあるんだなぁ」と鷹揚に構えておくことが良いのではないでしょうか。

ご参考になりましたら幸いです。

Best wishes to everyone!

定説というものには、一定の注意が必要と思います。いずれにしても、必ず自分の軸で判断するということですね。

【FIRE】可能性を狭める定説や言説にはご用心【セミリタイア】
私は留学から帰ってきて、KOに復学した時に三田キャンパスの木の傍にもたれかかっている外国人がいました。 私は基本的にそ...

こんな言説もあるみたいですね。

【テレビ不要論】テレビがないと世の中の流れについていけないという言説
テレビがないと彼女ができない・世の中の流れについていけない?という言説 ご質問 いつも楽しみにブログを見ています。 ...

まずは自分の価値観を知ることが、すべての軸になります。迅速な意思決定を可能にし、人生のビジョンを明確にする際にも肝要です。

自分の価値観は人生の早い段階で熟知しておいた方が良い、そのためにとことんやれ
私が今まで生きてきて、「これやっといてよかったな、これ気づいといてよかったな」ということについて、読者の方々の参考になるかもしれないと思...
新刊「#シンFIRE論 経済・精神の自由を手に入れる主体的思考法」
騒がしすぎる世界で、「主体的」であれ
スポンサーリンク

にほんブログ村 株ブログ 米国株へ

外国株式ブログランキング

Follow me by FREETONSHA

公開日:2019年5月19日