【FIRE】可能性を狭める定説や言説にはご用心【セミリタイア】

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私は留学から帰ってきて、KOに復学した時に三田キャンパスの木の傍にもたれかかっている外国人がいました。

私は基本的にその頃、外国人を見るやいなや、よく声をかけて友達になっていました。彼も無論例外ではなく、友達になりました。

彼はケンブリッジ大学医学部卒、KOに留学しに来ている白金高輪在住の30代半ばの英国人でした。

私が社会人になってから、彼に私の目標を話したことがあります。

「今は宮仕えをしているけど、必ず月に20万円以上の配当収入を得て、セミリタイアをする」

彼は驚いて、「株式投資はリスクが高く、配当で月20万円なんて無理だよ、考え直した方が良い」と言っていました。

彼の言葉は彼の言葉として心に留めつつも、私は特段気にせず、そのまま目標に向かって走り続けました。

そしてそれから数年後の2020年、月の配当収入は税引前で約30万円・税引後で20万円以上に実際に達します。

取捨選択が必要な言説、それは社会通念上一般的でないジャンル

ここで読者のみなさまに伝えたいのは、あまり他人の言説に惑わされ過ぎるのは考え物ということです。

彼のような属性であっても、私のような属性であっても、当然ながら万物に通じているわけではありません。

自分は自分、他人は他人。極論してしまえばそうなります。

自分の内なる声や状況・人生を一番わかっているはずなのは他人というよりは自分ですよね。言ってしまえば、読者の方にとって私の意見だってあくまで市井の中のごく1つの意見ですね。

お金・家族・健康は別にトレードオフではない

例えばよく思うんですけど、「お金」「家族/愛」「健康」、この3つが時にトレードオフかのように語られることがありました。

お金より家族が大事、お金より健康が大事、お金より人間関係が大事、などなど。いやいやちょっと待ってくださいと思ったものです。

この3つはトレードオフで両立不可能な事象ではありません。「お金」と「家族/愛」と「健康」これらは別に両立可能ですよ。むしろ相互に補完関係にあるケースさえあります。

とにかく、いわゆるFIREをめざす過程で「可能性を狭める言説には注意した方が良いな」と感じたことは多々ありました。なぜならその言説に影響を受けると、自分の可能性まで狭まってしまうからです。

FIREにはいくら必要か、その後の展望が必要か

人は自分が知っている世界の中でしか物事を語れません。

  • 「FIREには〇〇円必要だ」
  • 「FIREにはその後の目標や展望が必要だ」
  • 「年収が低ければFIREは出来ない」

など色々とこの手の話題はあると思います。

そんなの人によって様々です。3000万円でセミリタイアをして幸せに暮らす人もいれば、1億円ないと不安で仕方ない人もいます。

セミリタイアした後、やることがなくて逆に後悔する人もいれば、自分で主体的に物事を決めていき充実感を感じる人もいます。

年収が低くても、セミリタイアを達成した人が周囲に実際に存在します。

人は自分が知っている世界の中でしか物事を語れないのです。

例えば、周囲にFIREを実際に達成した人がいるのといないのとでは、その実現可能性への疑義が生じる度合いが変わってくるわけです。

周囲に実際にいれば、「あ、できるんだ」と思わずともその存在を認識することになります。逆に周囲にいなければ、「本当にできるんかいな」と、周囲に実在するケースと比べて一定の疑義が生じます。

人は自分が知っている世界の中でしか物事を語れないし、可能性が身近に感じられない傾向があると私は思います。

では、可能性を狭めるような言説に遭遇した時にどう対処するか

では、可能性を狭めるような言説に遭遇した時、どのように対処すればよいでしょうか。

何のことはありません。可能性を狭めるような言説に遭遇した時は、もはや自分が定説や言説を破る事例になれば良いだけのことです。それぐらいの意気で事に当たりたいところですよね。

そもそも、自分は自分、他人は他人と、言ってしまえばすこし線引きすることも一案です。

人は、人から多くのことを学ぶことが出来ます。

一方で、それをどう自分に響かせるのか、どう自分に反映させるのか、それは当人次第ですし、どこをどう取捨選択するのが良いのかも当人次第です。

情報は日々多量に入ってくる時代です。その情報をどう取捨選択し、どう自分に響かせるのか、どう自分と対話するのか、その基本姿勢・哲学が根幹を成します。

可能性を狭める言説、それはもちろん、取捨選択のうち、「捨」を選択すべきだと私は思います。

翼を折られないように、自分で折らないように

2019年の東京大学入学式の式辞で、NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長でもある上野千鶴子さんが中段で述べたノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんのくだりがあります。

マララさんのお父さんは「どうやって娘を育てたか」という問いに対し、「娘の翼を折らないようにしてきた」と述べています。そのとおり、ましてや他人に自分の翼を折られてはいけないのです。

読者の方々におかれましては、可能性を狭めるような他人の言説に遭遇した時、自分で自分の翼を折ることだけは決してせぬよう、もったいないです。可能性はなんびとにも開かれていますし、得意なことはなにかひとつあるはずです。そしてその先の道は、実際に自分で歩んだ当人にしかわからないのです。

その大原則を忘れぬように、目標を見失わぬように、他人の見解ではなく自分の目を信じて、自分の足で歩んでいきたいですね。共に頑張りましょう。

Best wishes to everyone!

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公開日:2019年4月30日