倹約して投資に回せば、早期リタイアが可能になると思う。三菱サラリーマンさんのように。
早期リタイアを夢見て…ドイツで増える倹約主義者https://t.co/WpIdO2ZjGY
— 共働き東京子育て奮闘記うにちっぷす (@uni3com) July 28, 2018
上記ツイート内のYahoo!記事が興味深いです。うにちっぷすさん、ありがとうございます。(のちにリンクが切れたようです)
原文の一部を以下抜粋の上、アンダーラインなどの装飾を施しつつ、私見を加えます。
色々な生き方がありますが、「ドイツのこういう生き方もあるんだ」というご紹介です。
蓄財期を一定期間位置づける、価値観を明確化する
【AFP】元気象予報士のラルス・ハートウィグさん(47)は、高齢化の進むドイツで広がりつつある「倹約主義」の夢を達成した。40代で退職し、働いた時代に貯めた金で控えめに暮らしているのだ。
ベルリン在住のハートウィグさんはAFPに「給料はもう要らないと、4年前に気付いた。それ以上働く必要はなかった。だから仕事を辞めました」と語った。
厳しい時も乗り越えながら貯金期間の10年間を生き抜き、その貯金を慎重に投資して、いざ飛び立つための資金を手にした。ハートウィグさんは2008年の金融危機後の「1、2年は極端なけちだった」と認める。保有していた株が下落し、回復するまでの間の時期だった。
「家では電気をつけないようにし、電気メーターはいつもチェックし、食べ物は一番安いものを買っていた」「けれど、もうその段階は終わった」
高消費生活を経て「金銭的な豊かさって、こんな感じか」と悟ったのち、私も20代の一部を「蓄財期」と位置付けて、支出に際しては真剣に自分の価値観に向き合うようにしていました。
何か支出行動をする際には、「これが後悔のない意思決定となるか」、真剣に自問していた時期もありました。
自分には何が必要で、何があると幸せを感じ、何をしていると充実感を得られ、どういったものに価値を置き、何が必要でないのか。
価値観の明確化は年齢と共に自然になされると思いますが、ある程度早い段階で明確になっていると、人生の大きな方向性も明確になります。
逆に、蓄財期が必要でない価値観であれば、そのような期間も必要ありませんね。
倹約生活への憧れが広がるドイツ
ドイツ語のブログやインターネットフォーラムでは、倹約生活への憧れが広まっている。
それをかき立てているのはすでに夢をかなえた人々や、現金をかき集めさえできたらどうなるだろうと想像している人々だ。
例えば、経済的自由を目指したオリバー・ノエルティンさん(29)の遍歴は、オンライン上で年ごとに詳細に記録されている。
「40歳になったとき、自分が自分に何を言っているか、完璧に想像できる。
『もうこれは10年か、12年かやってきた。もう別のことをやりたい』と」。
ハノーバーを拠点とするコンピュータープログラマーのノエルティンさんは、67歳に設定されている公的退職年齢をあざ笑う。
「私の目標は、ただ幸せになることだ」
奇しくも経済的自由を達成した年齢が私と同じ年齢です。
「40歳になったとき、自分が自分に何を言っているか、完璧に想像できる」
とありますが、自身の価値観・自身への理解が非常に明確になっているからこそ言えることだと思います。羅針盤も明確になるということです。
また、「私の目標は、ただ幸せになることだ」と原文に記載されていますが、これは北京留学の時に知り合ったスペイン人の友人も全く同じことを言っていました。
「人生は楽しむためにある、我慢するためじゃない」とはっきり言い切っていたのは印象的でした。当時の私の価値観にバランスをもたらした気がします。
国民性が出やすい命題と思います。
倹約生活への憧れがアメリカだけでなく、ドイツでも広がっているとのことですが、「消費主義、物質主義への疑問」というのは先進国に今後も不可逆的に広がっていくのではないでしょうか。GDP主義への疑問、とも言えるかもしれません。
伝統的な経済指標というのが徐々に時代に合わなくなりつつあるという考えが可能です。GDPは付加価値の総和ですから、大量生産・大量消費時代には好適な指標ですが、シェアリングエコノミーや精神的な豊かさ・自然から来る豊かさとは相反要素が多いのも事実です。
物価上昇率(CPI)で対象財の基準となるのは、最も大衆的なものです。例えば特定の財の物価を測る際には、メジャーな産品を対象財としますから、財が多様化し、同種の財でも価格が一律でなくなってくると、詳細な物価を捉えるにはどうしても限界が生じます。
捉えどころのない経済というものが、価値観の多様化によってますます変化していく「生き物」のようで興味深いです。だからこそ経済は面白い。
耐久消費財に関心を持たない節約主義者
■倹約で得る「経済的自由」
「経済的自立と早期リタイア(Financial Independence Retire Early、FIRE)」というライフスタイルの発祥地である米国では、環境保護から政治的理由、あるいは単なる個人的指向まで、倹約主義者たちの動機は多岐にわたる。
熱烈に実践している人には中流層が多く、健康に留意したシンプルな生活を送っている。
著作「ファイナンシャル・フリーダム(Financial Freedom、経済的自由)」を著したギゼラ・エンダース(Gisela Enders)氏によると、それは多くの人々にとって失業不安や、燃え尽き症候群に至るほど不健康なレベルのストレスなど「金銭にまつわる実存的恐怖」からの自由だという。
倹約主義者たちは車や広いマンション、デザイナーブランドの服などにはほとんど関心を持たない。
”FIRE”という文言は、日本でセミリタイア・アーリーリタイアを目指す人々にも認知され始めている文言になってきました。
健康に留意したシンプルな生活というのは、まさに個人的に理想とする生活であり、実際に実践しているライフスタイルです。
東京で車は必要ありませんし、いくらお金持ちになっても、多分広いマンションは買わないと思います。ブランドものの服も特段興味はありません。
ただ、Marmotやホグロフス | Haglöfs・モンチュラなどの登山ブランドの服は機能性が高いのでめちゃくちゃ好きです(笑)こういったものは値段がある程度しても買います。
本当に必要なものなのか、自問するということ
「消費社会が、これなしではやっていけないと私に信じ込ませたがっている物すべてについて、本当に自分に必要なのか自問する」ことをエンダース氏は提起する。
そのような自問がしばしば行動に踏み出すきっかけとなる。
先のハートウィグさんは「倹約主義者が長期にわたって自分の稼ぎ以下の暮らしをするのは、経済的自立を獲得するためであり、最終的には具体的な夢や希望を実現するためだ」と語る。
この道を目指す志望者への支援リソースは豊富にあり、禁欲生活の初心者が目標を達成する上で金もうけの天才である必要はないと言う。
下線部はまさに冒頭でも述べた通り、弊ブログで述べてきたことです。
「必ず必要というわけではないけれども、あると便利なもの」であふれ返る現世に、今私たちは生きています。
「必ず必要というわけではないけれども、あると便利なもの」を1つずつ排除していくと、価値観の明確化にも繋がります。
節約主義者であれば、お金儲けの天才である必要は確かにありません。住居環境の1つの究極形態とも言えるのがこの「小屋族」でしょう。
示唆に富んだライフスタイルだと思います。
ちなみに、ドイツ人の友人いわく、ドイツの若者において「オーガニックの食材でお弁当を作って持ち寄って、自然豊かな公園や草原でピクニックをする」ことに一定の支持があるそうです。これを聞いた時、ドイツもFIREがムーブメント化する素地は十分にあると感じたものです。
Best wishes to everyone.
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なくてもいいけどあったら便利なものって多いですよね。