少欲知足である倹約生活は永続的か否か
ブログを通してご縁があり、人生の先輩とお会いさせていただく機会がありました。
そのお方とお話しさせて頂き、共感し、思うところがありました。
私は現在、少欲知足とも呼ぶべき、世間から見ると倹約生活をおこなっています。今のところ不満はありません。
しかし、もし手元に2億円があれば、積極的な倹約生活を行うかと問われれば、現時点での答えはNOであるかもしれません。
この問いに対する答えが”NO”であるということは、一定の意味を持ちますよね。
すなわち、三菱サラリーマンは、「あらゆる条件下で必ずしも倹約生活を嬉々としておこなうわけではない」ということを示唆しています。
ということは、客観的視点に立てば、いま現在倹約生活をおこなっているのは、あくまで経済的自由を達成するための手段、あるいは方法論として倹約生活をおこなっている、と換言できます。
ただ、最近は自分のノーマル状態が、世間一般でいう倹約生活になってきている節もあるので、主観的か客観的かで表現は変わってきそうです。
来年の株式やREIT、ETF・債券による利子・配当収入は税引で150万円を超えます。
今月家計簿を締めるとわかることですが、現在の生活では、支出が月10万円を超えることはありません。ということは、今の生活ペースでいけば、既に経済的自由は達成していることになります。
しかし、家族構成の変化を考慮すれば足りなくなるかもしれません。そしてやはりもう少し余裕が欲しいという気持ちがあるからこそ、まだ働いているのでしょう。
加えて、現在の職場環境は大幅に改善されたことも大きく関係しています。
このもう少し余裕が欲しいという願望も、換言すればもう少しお金を使える生活にしたいという気持ちが見え隠れしている、と解釈することができます。
節約生活の行きつく先、それは根源的な問い
節約生活の行き着く先は、おそらく「お金ってなんなんだろう?」というある意味、古代から人が生活を営む上で脈々と続く経済、つまり経世済民という概念に行き着くのかもしれません。
経済的自由という目標の達成が近づくにつれ、
- お金とは何か、
- 貨幣とは何か、
- 信用とは何か、
- 幸せとは何か、
こう言った現代資本主義における根本的かつ究極的な命題に対する自分なりの解を再定義していく、こういうことになるのではないでしょうか。
経済的自由を達成する過程で、こういった問いに対して考える機会が生まれるだけでも意義のあることだと言えるでしょう。
経済的自由を達成した時の自分
経済的自由を達成する中で、自分がどういう思いを抱いていくのか、というのを客観的に観測したいというのも経済的自由を達成する大きな理由の1つでした。
昔から経済とはなにか、という問いに対する解を探究していたのです。
引き続き自分自身、そして根源的な問いに対する解への考察について、定点観測を行っていきたいと思います。
Best wishes to everyone!
米国だけではなく、ドイツでも倹約主義者が増えているそうです。私見を加えました。