ストイックを続けると見える景色は必ずある
最近隙間時間を見つけては拝読している三菱サラリーマンさんとの共通項を感じ、妙に納得φ(..)メモメモ
200円の定食を4年間食べつづけた。ヒカキンが語るストイックなサラリーマン時代(前編)|新R25 https://t.co/ap1t3LTeNm
— 游遊人 (@175_rider) May 4, 2018
こちらのツイートに記載されている記事を拝読して思いました。
やっぱりストイック(※本人はストイックと思っていないことが多い)なことを続けると、「見える景色」は存在するということです。
ストイックなことというか、「周りからストイックに見えること」って、
- 本人にとっては好きなことを楽しんでやってたり、
- たとえ苦しくてもその苦しさの過程も楽しんでたり、
- 「苦しくて、しんどくても、その先に待ってる景色は素晴らしいものだ」ってことが今までの経験上わかっている
からこそ、それだけ何かを突き詰めたり、追究したり、掘り下げていく。
可能性を狭める外部環境や発言には要注意
でも、その際に1つ注意すべきポイントがあると思ってます。
もし仮に貴方が何かやりたいことがあって、例えば、「好きなことを仕事にする」可能性を模索してることを伝えたり、「こういうことを仕事にしたいんだよね」って言った時に、その事に対してたとえ親であっても否定的な発言や反応をする人がいたら、聞き入れるかどうか一歩立ち止まって考える必要があります。
周りの人の話を聞いてて思ったのが、仮にそういう否定的な見解を示したのが自分の親だった場合、これは悪気があるのではなく、単に
- 「自分の可愛い子供にリスキーなことをさせたくない」
- 「安定した道を歩んで、無難に幸せに暮らしてほしい」
と可愛さのあまりこう思う親もいますよね。その辺の親心はしっかり把握して、誤解のないようにしたいところです。
可能性は、ある
話を戻して、誰かが何かに向かって打ち込もうとしていたり、やりたいことをやろうと燃えてる時に、人の可能性を狭めるようなことを言われたことってあると思います。
例えば「カフェをやりたい」って周囲の誰かに打ち明けた時に、「でもカフェなんて競合多いし難しいと思うよ」って言う人がいたとします。
でも、別の見方をすれば難しいことだからこそ、そこを突き詰められる性分やストイックさを持ってる人なら、いくらその業界がレッドオーシャンだろうが関係ないんですよ。
「ええやん」というマジックワード
可能性を狭めるような言及とは反対に、何か新しいことを始めようとした時に、
- 「お、ええやん」
- 「お、面白そうやん」
こういう反応が返ってくる人って、物事の見方がポジティブですし、これはどんどん良いアイデアを引き出してくれるタイプでもあります。
ストイックは、不思議と応援してくださる人が現れたり、周囲も変化
そして、何かに思いっきり頑張ってたり打ち込んでたりすると、必ず有難いことに応援してくださる人が現れます。
もしくは、ヒカキンさんが親が途中から何も言わなくなったという変化の通り、たとえ最初否定的な見解を持ってた人でも、何かに打ち込んでる姿や傾注してる姿勢を見続けてると、その姿に感心してくれたり、見方が変わります。
実際、知人は最初全くブログにも興味ありませんでしたが、夢に関連するテーマのブログを始めました、ツイッターも始めました。
更に、夢を持ってるのに「40歳までに出来れば良いかな‥」と悠長。私はそれを聞いて実現可能性には疑問符の1つや2つがついてました。ところが最近は具体的にロードマップを描き、計画を立て、期限を決め、既に動き始めました。
身近な人のストイックな姿を見て、自分も頑張らないと夢は実現しないと思ったそうです。
僭越ながら私が思うに、何かをしたいと思ったら、呑気なことや悠長なことを言ってるうちって、なかなか遅々と進まなくって、本気でやろうと思わないと難しい事って多いと思います。
本気で何かやろうと思ったら、人の2倍以上のリソースを注ぎ続ける、これぐらいの勢いで以って圧倒するぐらいの気概があった方が良いです。(偉そうに言えた口じゃないですが)
言霊ってやっぱり、ある
さっきの「周囲の反応」のくだりですけど、言霊って確実にあると断言できて、同じことを言っても反応って人によって全く違いますよね。その内容って、当人も知らないうちになんらかの影響を受けてる可能性があります。
特に保守的であって、今の地位の保持に腐心してる人が多い会社なら、必ず足を引っ張る人が現れるかもしれませんけど、そこは絶対に自分を強く持たなくちゃいけない。
よく付き合う人・環境などに人は影響されるって言いますけど、もちろんそれはそうで、否定的なことを言う人と仮に四六時中一緒にいるより、肯定的な物事の見方をする人といた方が確実に物事や考え方は好転しますよね。
例えば近くにいる同僚が肯定的なのか否定的なのか、その辺は全然シビアに見て行って良いと思う。
ポジティブ or ネガティブか、スタンスの違いで受け取り方は千差万別
「他の人みたいに、凄い記事が書けない。アクセス来ないし稼げないし、もうヤダ…」と思ってる人。
必ず、自分が活躍できるジャンルはある。
自分が経験してきた事をもう一度、振り返ってみて。大したことない情報でも、他の人から見れば「待ってました」な情報かもしれないですよ。
— クロネコ屋@ブログ×SNSマーケティング (@NINJAkusokuso) May 4, 2018
例えば、こちらのツイート1つ取っても、ネガティブに陥ってる人を一転してポジティブな考え方に好転させるような内容で勇気付けたり、役立つ情報として認識可能です。
これ見ると、「お、もしかして自分にも何かあるかもしれない!」って思いませんか。
逆に「え、1週間に1記事しか書けないとかワロタ」って言う人と比べると、その影響ベクトルの違いは論をまちませんよね。
例えばある記事を読んで、「このブログ書いてる人、社会的な属性がこうだからこういうことできるんでしょ?自分には無理」って思う人もいれば、「ここから何か学び取ろう」「何か活かせるものはないか」と、向上心を持って見るのか。
同じものを同じリソースや時間をかけても、見る人の見方やスタンスによって、感じ方や得るものって驚く程違いますよね。
好きなことを、とことんストイックにやってみる
本当にやりたいことがあって、リスクを取れない状況なら、記事にあるヒカキンさんの通り、サラリーマンを続けながら思いっきりストイックに何かに打ち込めばOKです。とりあえず、思いっきり何かに打ち込んでみること。
好きならそうやって打ち込むことが出来るはず。
そしてその好きなことで生計を立てる人が増えた方が、サラリーマンの仕事に対するエンゲージメントが極端に諸外国より低い日本の労働生産性は確実に上がる。(そもそも労働生産性という指標で物事を測るのが良いのかは議論があるかもしれません)
人の可能性を潰すようことを平気で言う人って、時折出会うかもしれません。でも、耳を貸す必要は必ずしもなくって、自分の信じる道を貫き続けたり、ストイックライフを送り続けていると、必ず応援してくれる人が現れますし、周囲の見方も変わってきます。そしてその先には今まで見えなかった景色って確実にあります。
何が言いたいかっていうと、私は、何かを頑張ってる人や夢に向かって突き進んでる人を全力で応援したいですし、ストイックに何かを突き詰めてると、必ず見えてくるものがあるってことです。
そういう風に見えてきたものって、一朝一夕に得られるものじゃないので、それだけオリジナリティも出てきます。ストイックを続けたことで得られた貴重なものは数知れません。もはやブログに書けないです。
すぐに得られるものって陳腐化しやすいですけど、日々のストイックライフから見える景色って、一朝一夕に得られるものじゃないからこそ、それだけ希少性は増します。
必ずだれにでも得意分野やのめりこめることがあると思います。対象物にもよりますけど、それに没頭することで得られること、陳腐な言い方をすればプライスレス。
お金や信用や影響力って、後から付いてくるもの。その源泉って、情熱を持ってリソースを注ぎ続けて行動して紆余曲折を経て考えて葛藤して、っていう一連の行動だと思う。
何かを頑張ってる人や夢に向かって突き進んでる人を全力で応援したいですけど、自分が今よりもっと色々な分野で規模感を広げることができれば、応援する手段も多様化できると思って、引き続き好きなことをとことんまでやり続けられたらと思います。
Best wishes to everyone!
日々の支出にしても、一旦自分がどこまで切り詰められるのか、やってみるとこれ結構面白いです。面白い上に、自分の受容できる生活レベルの下限がわかると、色々見えてきます。
受容性が高いことと、ダイバーシティが存在するかどうかって、やっぱり密接な関係があります。否定的な見解は、ダイバーシティを阻害しちゃいますよね。
階段ライフも、とことんまでやってみたら、面白いですよ。