【中東の受難】二枚舌外交と、資源という名の呪縛を越えて
今回の事態を観測するにつれ、歴史という名の冷徹な天秤を感じずにはいられません。自国の古の歴史に誇りを持つイランという国家が歩んできた道は、まさに列強による受難の連続でした。
かつての英国による「二枚舌外交」に翻弄され、石油という富が見つかれば利権を収奪される。自国の存立をかけた核保有の試みが、さらなる制裁と軍事作戦を招くという悪循環。
国際政治の表舞台で語られる正義の裏側には、常にこうした弱肉強食の冷徹な計算が働いています。すべての事象を把握することは困難ですが、歴史を紐解けば、彼らに同情の余地を見いだすのは決して私一人ではないはずです。
既視感のある「真綿で首を締める」構図
この構図、私たちはどこか既視感があります。
先の大戦前、我らがジャパンもまた「ABCD包囲網」という禁輸政策によって、存立をかけた瀬戸際に立たされました。座して死を待つか、光明を求めて打って出るか。追い詰められた民族の切実な選択は、現在のイランの焦燥と重なって見えます。
知日派として知られるアーミテージ元国防長官は、日本の国民性を踏まえ、「再び日本を追い込んではいけない」と評しました。民族が一丸となって火の玉になる性質(=日本国民が強いストレス下に置かれた際の、並外れた反発力)を、彼は正しく恐れていたと言えます。追い込まれた者が選ぶ実力行使の是非はともかく、その追い込む側の無慈悲な圧力こそが、戦争という名の悲劇を誘発する因子であることは否定できません。
実利と友情の狭間:「日章丸」の記憶
かつて1953年、出光佐三氏が派遣した日章丸は、英国の封鎖をかいくぐりイランの石油を買い付け、両国の友情の象徴となりました。現在もイランが親日的である背景には、こうした民間レベルの勇気ある外交の記憶があります。
しかし、現代の日本が置かれた立場はより複雑ですね。今回の高市首相の訪米に象徴されるように、国益の面からは米国という列強に対し、半ば朝貢外交と映るような立ち回りを余儀なくされているのが実情かと思います。友情を大切にしながらも、米国の不興を買えば一気に存立基盤が揺らぐ。この冷徹なパワーゲームの中での「綱渡り」こそが、資源と主権国家としての主体的な軍事力に制約のある日本の宿命と言えるでしょう。
資源の偏在
資源の偏在が戦争の元凶であるという事実は、人類の歴史が証明しています。日本が資源に乏しいことは、かつての侵略という魔手から逃れるための「不幸中の幸い」だったのかもしれません。
もし、世界中のエネルギーが一様に分散されていたなら、争いは減り、流される血も少なかっただろう――。そんな空想を抱かずにはいられませんが、現実の国際社会はどこまでも弱肉強食です。私たちはこの冷徹な真実を直視した上で、いかにして平和への光明を見いだせるのでしょうか。
実利を追求するだけでなく、かつての日章丸のような意志ある友情をどこかに秘めつつ、激動の時代を生き抜く智慧が問われているように思います。「国民一人ひとりが国家観を持たなくなってしまった」とかつて嘆いた知の巨人・半藤一利さんなら、そう国民に問いかけそうです。
関連記事