映画『そして父になる』 親子、血統、性差などを考えさせられる究極の設定
久しぶりに考えさせられる映画でした。ちなみにNetflixでの鑑賞期限は今月末です。
本作があぶり出すもの
思うに、対極となるものが対比されて描写されていると思います。
- 血統 ⇔ 愛着
- エリート ⇔ 非エリート
- 父性 ⇔ 母性
- オス ⇔ メス
ある意味、映画『ガタカ』が扱った主題に通ずるものもあるかもしれません。
本作を観るのが男性なのか女性なのかによって、抱く印象に差異があるのではないでしょうか。
そして、「負けたことがない人は、人の気持ちがわからないんだな」というセリフが象徴するように、エリートと非エリートを明確に区別して描写している作品だと思います。
加えて、いわゆる「上流階級の家庭」と「そうでない家庭」との対比も意識的に描写されていますよね。思うに、どちらがよいわるいということではなく、結局は相性なのだろうと思います。
「よしあし」より「相性」
ここからは本作からやや帰納的(個々の事実や事例から一般的な原理や法則を導く思考法や推論方法)に話を展開、つまり本作の本筋からはややそれるかもしれませんが、たとえば「お箸の持ち方ひとつ注意する家庭なのか、そうでないのか」、それは結局子どもが大人になって、同じようなお箸の持ち方をする人同士ならば相性がよい、または一緒にいて心地よい、ということに繋がる要因になるのだと思います。
なので、お箸の持ち方が綺麗なほうがよい、と一意的に結論を導くことは控えたほうがよいのだろうと思います。
同質性と異質性
なにかの書籍で読みましたが、「人間は結局自分と異なる要素が多い人に警戒心を抱く」という実証があったと記憶しています。
「そうであるならば人種差別はなくならないだろうし、真に画一的な人々が量産でもされないかぎり人々の衝突がなくなることはないのだろうな」と当時感じ入ったことを覚えています。
性差が生むもの
そしてなにより、本作は「性差」を考えさせられる主題がふくまれていると思います。親子に関する究極の決断を迫られたとき、父母で一致する部分と、一致しない部分があるのだろうと思います。
それはやはり本作でも描かれているように、登場人物の複数の男性で共通する視点やセリフがあり、同様に登場する複数の女性で共通する思想や視点がみられます。
つまり誤解をおそれずに言えば、男性は子女に関する決断に対してやや淡泊または血統主義的な一面がみられ、女性は対照的にともに重ねた年月や情愛に基づく意思決定がみられる、と言えようかと思います。
ネタバレが過ぎないようにあえて抽象的な表現に終始していますが、ご興味あるかたはぜひ。
なかなか考えさせられる主題であり、男女で感想を述べあうのもおもしろいのではないかと思います。
なおこれは前半までの感想です笑
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