Netflix「あいの里」人生後半の生きざまが描かれた、考えさせられる作品
あいの里 シーズン2、観てよかった作品です。
ひとことで言えば「あいのり」の人生後半版であり、しかしこの表現にとどまらない人生模様や生きざまを感じる場面が多々ありました。
人間かくある生きもの
- 人と真剣に向き合うなかで、磨かれていく
- 人には人の「背景」
- 情愛と年齢
- 人は変われるか
- 人生後半の慕情と人生模様
人と真剣に向き合い、磨かれていく
日本を出て、外国から日本を見つめることで日本をはじめて客観的に見える部分があることと似ていると思います。
他者と真剣に向き合う(=本音をぶつけあったり、心から大切に思ったり、喧嘩したり、情愛や喜怒哀楽を経る)ことで、自分を客観視することになる。そして自分の至らなさを認識したり、自分の人生とも向き合い、結果として人として磨かれていく。そんな過程を見ているように思いました。
人には人の「背景」
登場人物はそれぞれ、「え?」と思わず感じてしまうような、時に奇異に映る言動があります。
しかしその発言や行動には、たいてい過去のトラウマや、悲哀、悲痛、人生体験が見え隠れしているのです。
これは拙著『#シンFIRE論』で「ライオンのおやつ」を引き合いに出して記した内容と通底することであり、あらためて感じました。
「あいの里」に出てくる人々は、30代後半~50代後半です。それだけ生きていれば、みな何かしら抱えて生きているということかもしれません。時に儚さや切なさ、無常も垣間見えます。しかしそれも含めて人生ということなのでしょう…。
情愛と年齢
おそらくどんな辛い経験があっても、たとえ大切な人を亡くしていても、(人によって傷が癒える時間の長短はちがえど)人はまた前を向き、いつまでも恋ができ、そして何歳になっても情愛に触れたい生き物なのかもしれません。
人は変われるか
思春期に醸成された根幹は変わらないにしても、それでも「人は(部分的に)変われる」という可能性を感じさせる情景がいくつかありました。
ぎたりん、あやかん――。
人生後半の慕情と人生模様
後半に向かって、作品としての深みが増していくように感じました。
前半は主にアラフォーが紡ぎ、後半はアラフィフひいてはアラ還が、めいめいの人生体験に基づいて慕情を深く紡いでいきます。
正直前半は、「え、それでええんかいな」というツッコミどころもあります。そこから後半から終盤に向けて佳境を迎える。主役がアラフィフやアラ還へと移り、人生体験に裏打ちされたであろう情念や信念に基づく潔さや魅力、言動に心が揺さぶられました。
まとめ
正直、見る前や前半は、「あいのり」の大人版かな、といった想像でした。
たしかにそうした要素もありますが、とくに後半は単なる恋愛バラエティ番組にとどまらない、各人の人生模様が色濃く反映された、人生や情愛について深く考えさせられる局面がいくつもありました。
示唆に富む人間模様、そして人間心理の機微と情愛――。受容するとはどういうことか、眼前の人のみならずその人が背負っているものまで受け入れる――。
見終わった翌日になっても考えさせられるものがあります。
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