映画『先生の白い嘘』 性差、性愛、男女の一面、人の深淵に切り込んでいる
すごい作品ですね。私が女性だったら、この男女の性差という残酷な現実を若いうちに頭にたたき込みたいです。もし私に年頃の娘がいたら、ぜひ見て、現実の一端を知ってほしい作品です。
なお、内容的にひとりで観るか、だれかと観るならば人を選んだほうがよいと思います(笑)
性という避けられない人間性と、性差の残酷な現実
本作の主題は、性そのものです。
性差、性愛、人間の深淵――。
いやもっと具体的に切り込めば、「男女の絶対的な不均衡、性の不平等」という残酷な現実を痛烈に表現しています。
実際、作者の鳥飼茜さんは「現実は厳しいよね、ということを徹底的に見せたい」と文春の取材で語っています。
本作では最低で品性下劣な男「早藤」と、そんな最低男におとなしく屈服する女性「原 美鈴」が登場します。まさに胸糞悪いわけですが、核心を突くセリフ満載で妙にリアルなのです。
映画では早藤に屈服して快楽の膿からなかなか抜け出せない女性は原美鈴のみですが、漫画では同様の沼にはまった女性が複数人でてきます
階段と性愛に関しては人一倍の洞察を備えていると自負する私が言うので間違いありません(やばきち)。
本作の作者は女性です。女性だから書ける内容ですよね。男が書いたら事実であっても批判にさらされるのでは。
たとえば以下のようなことが描かれています。
- 人間の性はときに粘着的で、しかし一方で純真かつ純粋なものも産むこともできる
- 漆黒の過去があっても、そのすべてを抱擁し、包容する人が現れれば、その人から正の活力を得ることで、自分がひとりでは脱却できなかった過去と決別できる
- 女性は「不幸や苦痛、納得できない過去があっても、過去と自分の人生を惨めに思わないようにすむために正当化できる」生き物(作中のセリフそのまま)
これら3点、いずれも深く考えさせられる内容だと思いました。
① 男女の性差と現実
- 威圧できてしまうという男の不条理な力、受け入れてしまえばラクになれる女の悲哀
- 女性は「不幸や苦痛、納得できない過去があっても、過去と自分の人生を惨めに思わないようにすむために正当化できる」生き物
作中の女性のセリフ
買うのはアンタたち男でしょ?一生に一人のお嫁さん。新品の方が高く売れるに決まってるじゃない。私のこと中古にしちゃったら、その責任取れないでしょ?
アンタはホテルで男と女が平等じゃないって知ったのよ。女から正しさを奪って、女から自由まで奪ってしまえる不条理な力を持ってることを誰かに許されたいだけ。男であることを許してほしいだけ
でも大丈夫。そのうちすぐ慣れる。これから沢山の女をみにくく汚して生きていくのだから。そういう風にしか男は生きられないの。
今までさんざん人間観察をしてきて、私は自分を含めて男という生き物を深く知り得てきたと自認しています。この作者は「男がどういう生きものか」をよくわかっていると思います。
昨今は清らかに「男女平等」とうたわれがちです。しかし男女が生まれ持って抱えた「性の不平等、絶対的不均衡」という否定しがたい事実を鋭く描いています(直接的な表現はあえて避けています)。
本作で出てくる早藤という男は、まさに品性下劣なわけですが、その品性下劣な男の威圧的な暴力に女性がおとなしく屈服する情景はむろん胸糞悪いと同時に、妙にリアルなのです。
以下は早藤の「最低だけれども核心を突くセリフ」の数々です(繰り返しながら作者は女性です)。
もしこれが暴力(=DV、モラハラ、レイプ)だったら「傷付くのが誰か」自分が一番わかってんじゃん、ホントは暴力された女になんか成り下がりたくないだけなんだろ? 私は求められた女なんだって思い込めば楽になれる。暴力も愛も自分の思い込み次第って。女ってそういうエゲツない生き物だろ。
お前ら女は全員馬鹿なんじゃねぇの?人間以下の奴隷みたいな扱いされてんのにヘラヘラ笑って済まそうとしやがって幸せだ? 頭と腹ん中怒りと絶望で真っ黒なくせにそれでも自分だけは幸せなはずだってか?
② 「快楽の膿」から自力で脱却できなかった弱さ
- 漆黒の過去があっても、そのすべてを抱擁・包容する人が現れれば、その人から正の活力を得ることで、自分ひとりでは脱却できなかった過去と決別できる
「自分を一番知っているのは自分であり、自分で自分を客観視することが大事」というのが私の持論ですが、とはいえ事象によってはやはり他者の目線や視点で気づくことも多々あります。
ましてや正対しづらい過去と向き合う必要がある人ならば、だれかの助力を得ないと沼から抜け出せないことはやはりあるのでしょう。
男女関係で傷ついたなら一番の処方箋は新たな男女関係、とも言えましょうか。
③ 女性とはいかような生きものか
- 女性は「不幸や苦痛、納得できない過去があっても、過去と自分の人生を惨めに思わないようにすむために正当化できる」生き物
本作の作者は女性ですが、以上のように表現しているシーンがあります。さらに、以下のセリフがあります。
私には最初から選択権さえ与えられていない。見知らぬ男に、ある日、突然値札を付けられる。ある日突然、見も知らぬ男に何食わぬ顔で強奪される。それが底値で買い叩いたものであろうが、あるいは強奪したも同然であろうが。価値なんてあってもなくても同じこと。何度も何度も買い叩かれては擦り切れる。いつからかその擦り傷にはこの世で最も醜い膿が溜まるようになった。『快楽』という膿があふれてしまう
このあたりも本作の骨子ですよね。私は女性として生きたことがないのでわかりませんが、作者が女性という説得性はあります。
「不都合な事実を直視できない人」で連想した、3つの事例
以前「やんちゃな男と結婚して、それに懲りて、離婚してまじめで優しい男と再婚したけど、つまらなすぎて結局は夜な夜な飲み歩いている」という事例を見聞きしました。なんとも御しがたいですね。
何度も似たような失敗を重ねている人がいます。彼は「(失敗したのは)本気を出してなかったから」といった趣旨の弁を重ねるのです。学生ならまだかわいいですが30代になってそれでは閉口です。そうやって自分を守り、事実と向き合わないから同じ失敗を繰り返すのだと思います。
ほかにも、知人の同僚で、同居人から攻撃を受けて、苦境を愚痴り続けているにも関わらず逃げない人がいます。逃げない期間が長ければ長いほど、過去の自分の至らなさを直視するのがしんどくなり、なかなかできないようです。
以上に挙げた3つの事例は、「不幸や苦痛、納得できない過去があっても、過去と自分の人生を惨めに思わないようにすむために正当化できる生きもの」という事象と通底するものがあると思います。
なぜ人々が本作を「胸糞悪い」と感じるのか
ちなみに世間の反応として、「胸糞悪すぎる!」「不愉快極まりない作品だ!」といった向きもあるようです。
なぜ人々が本作を見て胸糞悪く感じるかというと、おそらく「自分より明らかに格下または品性下劣な早藤という男が、相手の気の弱さにつけ込んで甘い汁を吸っていて、かつそれをとがめる人もいなくて、女性がいいようにされている」からだと思います。
そして、「その女性が品性下劣な男から自力で離れられない」状態がある程度続くからだと思います。まさに奴隷のように搾取された状態。見ていてよい気分にはなりませんね。
しかし現実は本作のようにまことに胸糞悪い事件も起きていますし、残酷だけれども厳然たる事実だと思います。「残酷だけれども厳然たる事実」を直視する人としない人で、著しい差異が生じると思います。
たとえば、
- 「資本主義では株式投資をするかどうかで埋め難い金銭的な差異が生じる」これも残酷だけれども厳然たる事実
- 「コンコルドの誤りのように、本作のような男女関係だけでなく、投資でも転職でも結婚でも、”損切り”(以前の判断を修正し、新たな一歩を踏み出すこと)が遅くなればなるほど、過去を否定する重荷が増えて、正常な判断がしにくくなる」これも残酷だけれども厳然たる事実
こういう事実を直視して、次なる行動に移せるのかで、人生はまったくちがうものになると思います。
漫画業界の構造変化
ちなみに最近の漫画って以前と比べてかなり変わってきてますよね。以前は絵柄とストーリーは一人でやっていたのが、今は絵柄とストーリーを別の人が専門でやってたりしますよね。
さらには以前は深みのある物語性は小説に多く見られ、漫画はやや絵柄重視の面もあったと思いますが、昨今は小説を読まない人が増えたからか、漫画にも物語性に深みがある作品が増えている傾向を見いだせます。
まとめ
男女の生まれ持った絶対的な不均衡、身体的な差異が生む不平等、人間としての弱さが生む奴隷搾取、他力を借りなければ脱却できなかった快楽の膿、威圧的な男性におとなしく従順である女性――。
冷徹に文字にしただけでもはや画力が強いわけですが(笑)、こうした様々な残酷な現実を知り得る作品だと思います。
そして女性であれば自分がいつこれらと通底する状況に置かれるかはわかったものではありません。世間を知らず、経験のとぼしい若い女性ほどあぶないと思います。運が悪ければ品性下劣な男に遭遇して引っかかってしまうということですよね。
だからこそ、親がしっかり教えないといけない。これは自分が男だからこそ、娘には絶対に教えなければいけない領域だと思っています。
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