「短期的には痛みをともなうが、中長期的には道が開ける決断」ができるか(映画『ジェミニ・マン』)

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受け入れがたい過去の事実を受け入れ、再出発する困難(映画『ジェミニ・マン』)


本作を観て感じたことは、実にただひとつです。

苦悩と葛藤がともなう「過去の否定」につながりかねない決断

※以下ネタバレを含みます

それは、

  • 受け入れがたい自身の半生と向き合い、受け入れ、再出発するという困難は想像に余りある

ということです。

本作のあらすじを大まかに述べると、

  • 「天才スナイパーのクローンを悪人が作り出し、孤児という設定にしてみずから自分に都合のよいスナイパーに育てあげ、利用する」

というものです。

23歳になって、天才スナイパーのクローンである彼は「今まで父(悪人)が言ってきた設定(例:消防署で孤児として拾われた)はすべて嘘で、単に都合のよい殺人マシーンとして育てられてきた」という真実を、天才スナイパー本人に知らされます。

つまり彼はその瞬間に、23年間生きてきた半生において、自分が信じてきた人やこと、自分がよいと思ってやってきたことが偽りや虚構であってきたことを悟ります。

このとき当然の反応として、クローンは父に怒りをぶつけに行きます。これまでの話はすべて嘘で、多分に利己的な目的でクローンとして製造されたことを涙ながらに問い正しにいくわけです。

そして、のちに天才スナイパーから「父(悪人)と縁を切れ、そして今の稼業から足を洗い、人生の再出発をしなはれ」とうながされます。

これは想像に余りある苦悩ですよね。スナイパーから足を洗い、人生の再出発をするということは、同時にみずからの半生の一部を否定することにもなり得ます。

23歳という前途ある年齢で知り得たからよいものの、これが50代や60代になってからだったとしたら、率直に申し上げて身の毛がよだつ話です。

再出発をするということは、過去のみずからの至らなさ等を受け入れ、清算する行為でもあります。それゆえに勇気を要し、苦悩がともなうでしょう。しかしやり切らなければまさしく株式にたとれば、損切りできずに損失が大きくなっていく事実に目を背け、将来の自分の可能性を食いつぶすことを意味します。

むか~し読んだ、水野敬也『夢をかなえるゾウ』に以下の一節があります。

今まで、自分なりに考えて生きてきて、それで結果出せへんから、こういう状況になってるんとちゃうの

自分のやり方であかんのやったら、人の言うことを素直に聞いて実行する以外に、何か方法あんの

それでもやれへんていうのは、何なん?プライド?自分の考えが正しいに違いない、いうプライドなん?」

「成功しないための一番重要な要素はな、『人の言うことを聞かない』や。そんなもん。当たり前やろ。成功するような自分に変わりたいと思とって、でも今までずっと変われへんかったっちゅうことは、それはつまり、『自分の考え方にしがみついとる』ちゅうことやんか


クローンの彼は、素直に天才スナイパー本人の助言を受け入れ、あっさり足を洗います。

個人的にはその情景が本作で最も印象に残りました。その決断は非常にしんどいはずです。なぜなら繰り返しながら過去の自分をも否定することになりかねないからです。

私が思うに、人間の価値というか本質が試される局面はいくつかあって、

  1. しんどいとき、つらいときに踏ん張れるか
  2. 「短期的には困難や痛みをともなうが、中長期的には道が開ける決断」ができるか
  3. だれの意見に耳を傾けるか

といったことができるか否かで、人生の要所を押さえられるかの分水嶺になるはずです。

過去を変えることはできませんし、人生に無駄な経験はないと思います。したがって、いくら過去に悔いがあったとって、その過去を否定する必要すらないとも言えます。しかし現実的にはそこまで綺麗事で済まないこともあるでしょう。

そうした状況で試されるのは、「いま」この瞬間に、たとえしんどくとも、将来に資する決断ができるのか、その一点こそが、まさに肝腎なのではないかと思います。

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