絶対的な存在が出現すると、既存の秩序が平等にリセットされる(小林道彦『山県有朋』)
『山県有朋』(小林道彦著、中公新書 2023年)を非常に興味深く読んでいます。順次、感想と考察を記していきたいと思います。
本書の要旨は以下のとおりです。
明治国家で圧倒的な政治権力を振るった山県有朋。陸軍卿・内相として徴兵制・地方自治制を導入し、体制安定に尽力。首相として民党と対峙し、時に提携し、日清戦争では第一軍司令官として、日露戦争では参謀総長として陸軍を指揮した。その間に、枢密院議長を務め、長州閥陸軍や山県系官僚閥を背景に、最有力の元老として長期にわたり日本政治を動かした。本書は、山県の生涯を通して、興隆する近代日本の光と影を描く。
出所:中央公論新社
(余談ながら本書は山県有朋を肯定的に評していますが、出口治明さんや半藤一利さんは『明治維新とはなんだったのか』にて戦犯なみに酷評しています)
- 『山県有朋』(小林道彦著、中公新書 2023年)から「絶対的な存在を置くことで、ほかの上下階層や既存秩序はすべて平等にリセットされる」という示唆を見いだせる
- 明治期に導入された「家父長制」は既存秩序であった「長幼の序」を一部放逐したとも考えられる
- 国体維持のために制度や常識が作られてきた歴史がやはりある
絶対的な存在が出現すると、既存の秩序が平等にリセットされる
尊王思想を奉ずることによって、山県ら卒族出身者は、藩内身分制階層秩序はもとより全士族階級を超越して、観念の世界で直接天皇と結びつくことができた。
尊王という建前には、藩主であろうとも公然と異を唱えることはできない。それは政治的原理であるとともに、目的を貫徹するための政治的手段でもあった。
『山県有朋』(小林道彦著)より
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補足:卒族とは
足軽、仲間、小物といった下級武士の総称
このくだり、非常に興味深いですね。
尊王思想を掲げる(=天皇という絶対的な存在を奉じる)ことで、「下級武士(下士)であっても、家老などの上級武士(上士)や、馬廻りなどの中級武士(中士)や藩主に異を唱えることができる」という立派な政治的手段になった、という意味ですよね。
政治色を排して現代風にたとえれば、「社員が休暇を申請し、社長に許可されなかった」という場合において、社員は「この休暇は天皇のために伊勢神宮に参拝する目的です」と言えば、それは社員より優越的な立場にある社長といえども申請を許可せざるを得ない。なぜなら「裁可しないことは天皇軽視に当たる」という論が成り立つからです。
つまり、「(天皇という)絶対的な存在のもとでは、その他の上下関係もみな平等になる」ということです。
この論理展開は、社会制度または集団秩序において非常に興味深いですね。なぜなら、繰り返しながら絶対的な存在を置くことで、ほかの上下階層や既存秩序はすべて平等にリセットされるという示唆を見いだせるからです。
社会制度、集団行動、組織論など幅広い分野で連想できる余地があるのではないでしょうか。
たとえば日本は敗戦後、天皇制の廃止を求めるGHQ指導下の民法改正(1947年)まで、明治期から家父長制でした。家父長制とは、いわば「父親が家庭で支配的で特権的な地位を占めること」です。
他方、儒教が浸透した国の1つである日本では、長幼の序、つまり年少者は年長者を敬うことが大切であるとされてきました。
(萩藩では、五代当主毛利吉元が開いた藩校「明倫館」で儒書の会読が重んじられていた)
しかしそのような既存秩序は、父を絶対的な存在とする家父長制が確立されれば、本来は
- 父と母、その下に子(=父・母>子)
という長幼の序列ではなく、
- 父の下に、母、長男その他が平等にぶら下がる(父>母=子)
という、「父」と「それ以外」に階層が二分化される意識が世間に生じてもおかしくない。そんな連想に至るわけです。
実際、ご飯に手をつける順序として、父や長男→女性といった構図は昔見られたそうですから、「家父長制」が既存秩序であった「長幼の序」を一部放逐した、といった見方も成り立ちます。まさにリセットされたわけです。
国体維持のために制度や常識が作られてきた歴史
家父長制は、「一つひとつの家庭において、絶対的な存在(父)と隷属的な存在(母と子)に二分化し、それを国家単位でなぞらえる(=絶対的な存在としての天皇と、隷属的な国民)ことで、天皇制という国家体制を支えるためであった」とされます。
ということはですよ、明治期に家父長制を敷いたねらいは、「天皇という絶対的な存在を置くことで、集団を秩序立てて一体感を高める」というものはやはりあったでしょう。欧米列強に蹂躙される恐怖に包まれた当時ですから詮無きことであり、国体維持のためには必要な措置なのでしょう。
いろんな書物を読むに感じることは、このように「国家の存立や国体を維持するために、しばしば国民の幸福とは無関係に制度や秩序、社会通念が意図的に作られていった歴史がある()」ということです。
の部分を知っておくだけで、俯瞰的に物事を見やすくなるはずです。「当局や専門家、国際機関が言っているから正しいとはかぎらない」と認識する人が周囲でもインターネット上でも増えてきたように思います。
とくに与えられた正解を追い求める受験システムの中で勝ち抜いた高学歴層は権威(当局や国際機関)を信奉しやすくなる傾向が認められます。ところが周囲の高学歴層でも小さからぬ変化が見られ始めているように感じます。
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