出産に立ち会い、感じたこと
FIREからの、子持ちFIREになりました😊 pic.twitter.com/3WP6uOZkeA
— 穂高 唯希|新刊 #シンFIRE論 (@FREETONSHA) July 15, 2024
お祝いのお言葉をいただきましたみなさま、誠にありがとうございます。鋭意お返事中です。
あとちょいちょい階段がらみのおもしろコメントありがとうございます(笑)
また、穂高 唯希という名前からお子さんに名付けたとの方もいてびっくりしました。
畏敬の念
出産に立ち会って感じたことを記しておきたいと思います。
まずは無事出産を終えられたことに感謝したいです。最も強く感じたことは「出産という行為、および女性そのものに対する畏敬の念」です。
子どもは女性しか産めません。そして、陣痛という多大な苦痛を耐え忍ぶことが求められ、命懸けでもあります。生物として尊い行為のひとつでありましょうし、同時に命懸けという意味で危険を伴う行為でもあると思います。
陣痛室ではほかの妊婦さんの絶叫も聴こえてきました。この絶叫は、やはり「人間も動物の一種」であることを想起させるものでした。
この陣痛というものを目の当たりにすると、(比較するものではないかもしれませんが)男性が今まで感じてきた痛みなど何てことのないようなものに思えました。女性を聖観音とも見えたでしょう。
以前、某党の演説で耳にした表現だと思いますが、「女性は子供を産める。その1点だけでもって、尊重されるべき存在であり、尊敬に値する」といった趣旨の言がありました。
たとえば自然界では、
- カマキリならばオスはメスと交尾したのち食べられてしまうこともありますし、
- ほかにも女王蜂のようにメスが実質的に頂点に君臨する種も複数みられます
「多大な苦痛を耐え忍んで子を産む。その一点でもって敬意を払うべきではないか」そんな感想を抱きました。
男性の分まで苦痛を引き受けている
世間には、夫が妻に対して攻撃性をともなう行為(DVなど)に及ぶ現象がみられます。
しかし子を持つならば「妻は夫の分まで身代わりとなって多大な苦痛を経て子を産んだ」という側面を少しでも思い出せば、そのような行為は起こりようがないのではないか、とすら思いました(もちろんそんな綺麗ごとでは済まず、一般化できない個別事情等が多々あるでしょうけども)。
つわり、月のもの、出産――。
これらはすべて男性にとっては、自分の分まで苦痛を女性が引き受けてくれているようなものだと思います。数時間単位の陣痛以外に、つわりは何ヶ月も続きます。私はよく「自分の分まで(痛みを引き受けてくれて)ありがとう」と事あるごとに伝えていました。そして、FIREして時間的な余裕があるので、家事や料理などすべて担いました。
自分の分まで痛みを引き受けてくれている、その一点に対して感謝と畏敬の念を禁じ得ない。そして、こうした気持ちをできるだけ忘れないようにしたいです。
男女、男男女、男女
なお、世間では男女同権が叫ばれて久しいですね。海外事情を見聞してきた範囲で私の目に映るのは、日本は男尊女卑が著しい一面を持つ国であるということです。
しかし一方で、男女にはそれぞれ父性・母性、得意・不得意など凸凹がある以上、「あらゆる面ですべてを平等にすべきだ」という原理主義的な平等主義よりも、「互いにそれぞれ得意な分野で協力・補完しあうかたち」が自然のことわりに即し、かつ現実に即したかたちではないかと個人的には思います。
以上のような思いを抱きつつ、人生の大きな出来事のひとつである「子を持つ」「子を育てる」ということに私なりに向き合っていきたいと思います。
関連記事
感じたことシリーズ。