衆人に迎合か、自己を貫徹か

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衆人に迎合か、自己を貫徹か

テレビ番組を見ていて、印象に残るシーンがありました。

とある有名俳優さんが、以下の趣旨のことを話していました。

  • 役作りのために私生活のすべてを投げ打って体型を調整する俳優さんもいるけど、自分は「俳優である前にひとりの人間」。仕事より自分のメンタルやプライベートのほうが大事。筋肉質な体型を維持したいので、病弱な役は引き受けない
  • 台本は自分以外のところは読まない。なので、大御所俳優に「あのシーンどう思う?」と聞かれたときに困るので「え、どっちですか?」などとお茶を濁す(談笑)

私も仕事は「人生で100ある要素のうちのひとつ」といった位置付けであり、一度きりの人生を悔いなく存分に味わうことに重きを置いています。したがって、共感する部分があるものの、公に表現する際には注意を要する類の内容だなぁとも思いました。

たとえばこれらの発言は、実際に大御所の俳優の方が耳にしたら気分を害する可能性が考えられます。また、芸能界で仕事をする人が聞いたとしたら、人によっては、仕事に対するモチベーションが例えば鈴木亮平さんのそれのように、「役作りに全身全霊を注ぐ人と比べるとプロ意識が足りない」と解釈される可能性も考えられます。

「仕事である以上は意識と視座を高く持って事に当たるべき」という考えをたとえ持っていても、上の発言だけを聞くとプロ意識が欠落しているなどの誤った印象をあたえかねません。

したがって公に表現する際には表現の仕方次第では誤った印象をあたえかねないなぁと思いました。

かといって自分を押し殺して、みんなに迎合して好かれようとすることもまたちがう。そんなことをすれば自分の人生を自ら落としめる可能性もはらむわけですよね。

誤解を与えないようにそのあたりのバランスは地味に大事な気がしました。

私もこうやって不特定多数の人に向けて、情報を発信している稼業である以上、全員の人に好かれようとすることなど非現実的だと思いますし、そんなことはどだい求めていませんし、仮にそんなことを求め出すと何も言えなくなってしまいます。

しからばバランス、つまりは本当の自分を大切にした上で、なりわいに関しても真剣であることを言明し、誤解を与えないように進めるというようなバランスですよね。

最終的には自分が人生で何を優先するのか、という究極的な命題に帰着するのだと思います。結局はそこですよね。

自分の主義信条を捨て去り、衆人におもねるなど本末転倒であって、それこそ悔いが残るわけです。これは人生の選択にも言えますよね。

長いものに巻かれるとか、やむにやまれぬ事情でそれを重視する人もいますが、やはりそのような状況は人生で後悔するリスクを極大化するような状況だと思います。

そのためには、収入をなにかに依存しすぎない体制を構築することですよね。この俳優さんも「今だから言えるけど」という前置きがありました。

  • 仕事をある程度選べるようになったからこそ
  • 仕事の発注先に依存しすぎていないからこそ

自分の主義を貫けるようになったという含意があるでしょう。

そうした状態、つまりはFIREもそうですが、経済的にも精神的にも自立した状態というのが、自分の主義主張を貫ける土壌ができるということであり、悔いなき一生に直結する要素だと思います。

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