「今も戦後である」日本で生きる私たちが認識したいこと
敗戦でおよそすべてが決した。そんなふうにも言えると思います。
勝者は「事実に即さぬ歴史」をつくる
敗者である日本にいくら事実に基づく立派な正義があっても、勝者が歴史をつくり、敗者は悪者にされる。歴史はそう語ってきたと思います。
列強の植民地支配期に、最後に遅れてやってきたのが「持たざる国」である日本(とドイツ)でした。その植民地支配という欧米列強が欣喜雀躍と勤しんだ不都合な真実は、日本とドイツが一手にその十字架を背負う色彩を帯びました。
- たとえそれまで日本が人種差別撤廃を国際会議で初めて提案しようとも、
- 昭和26年(1951)5月3日に、アメリカ上院軍事・外交合同委員会で語ったマッカーサー証言で
“Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.”
(したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです)
という発言であらためて「日本は自存自衛のための戦争であった」と認め、東条英機をはじめて鹿屋航空基地などの戦争資料館でも確認できる日本の主張と軌を一にしようとも、
日本人の多くはそうした情報を認識することもなく、いまだに自国の歴史に対して少なからず負い目と自尊の欠落を引きずっているのかもしれません。
個人や家族単位で「自存自衛」を図る
外国の軍隊が国内に駐留し、依存している以上、常に喉元にナイフを突きつけられている状態であり、そのような状態ではたして冷徹な国際社会で毅然と対等に渡り合えるのでしょうか。
外国が憲法草案をつくり、外国の軍隊が駐留し、国会の批准なしに意思決定できる国権を超えた行政協定が二国間に存在し続けるかぎり、「もはや戦後ではない」どころか、日本は「ずっと戦後」というのが悲しき現実かと思います。
しかし現状を嘆いても仕方ありません。私たちにできることは、自分の身は自分で守るということです。国家間で対等な関係が望めない以上、国民一人ひとりがまさしく「自存自衛」を図るほかありません。
水、食料、現物、電気、ガス、土地、家屋、金銭――。
究極的にはこうしたものに少しだけ意識を向けておく。もちろんこれはテールリスク(発生確率は低いが甚大なリスクとなるもの)の類であり、一笑に付されるかもしれません。しかし登山でも投資でも、最悪の事態を念頭に置いて対策をしておくことが最善手への可能性を広げるものと確信しています。
従属的な国でだれが宰相になったところで、宗主国に都合が悪いことを毅然と物申した人が(少なくとも結果的に)挿げ替えられる、または失脚した史実は、昭和後期からの歴史が示唆していると思います。彼らが失脚して以降、同様の様式美を持つ政治家は少なくとも表舞台に表立って出てこなくなったように思います。
よほど強烈な支持のもとに革新的な政党が政権を奪う、またはもう一度戦火を交えて勝つぐらいの非現実的なことがないかぎり、事態の根本的な転換を望みにくいのは衆目の一致するところでしょうか。その意味で、冒頭のとおりやはり「およそすべてが決した」のです。
そもそも歴史を俯瞰すれば、大局的に人種間の特徴は認識しておく必要があると思います。英米のアングロサクソン系は、戦争で一方的に負けたことがありません(ベトナム戦争は留保事項)。
彼ら狩猟民族は歴史的に長期戦略に長けていると解釈でき、「お人よし」で農耕民族的な東洋人とは異にして区分されます。外界と遮断されがちな島国では勘違いしがちですが、自身で見聞した経験上、国際社会・国際商務はとにかく打算的で冷徹で戦略的です。あまりピンと来ないかもしれませんが。
むすび
日常生活でこの手のことを考えるのは、気が重くなってたいへんだと思います(笑)。
先日国際社会論の講演会に行ったとき、年配の方が話者に国際政治について質問した際、「あら、あなた。そんな国際政治のことを考えて生きてるの?大変ね(笑)。でも、それはとても鋭い質問です」と前半で冗談めかしておっしゃっていました。
私もブログではたまにしか取り上げず、株の売買や欣喜雀躍とした日常を主につづっていますし、ふとした時にしかこの手のことに思いをはせることはありません。
しかし逆境でよき意思決定をするには、重い現実を直視することが起点となります。
そんなことをいちいち知らせないでくれ。そう思う人もいますね。人生の是非は当人が決める以上、それもひとつの人生ですね。
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