天井を打つ中国の不動産、バブル化する日本の不動産
本記事の中国不動産についての話は、あくまで友人の中国人たちとの話をもとにしたもので、マクロ経済統計に基づくものではなく、ミクロ視点でのお話です。
中国:高級不動産を除いて下落
深圳の不動産事情は、高級不動産を除く低中価格帯のグレードはすでに天井を打って下がりつつあるようです。
一方、超高級の不動産はまだ上がり続けている傾向があるとのこと。これは興味深いですね。
つまり、少数の超お金持ちが買うようなグレードの高い不動産は、そのかぎられた世界では活発に取引されていることを示唆します。
日本:バブル化するタワマンなどの不動産
これは日本でも同じことが言えますね。郊外の不動産よりも都心のタワマンのほうが騰勢が強いですから。都内の不動産は過熱感がありますね。
高層ビルは建てるよりもメンテナンスが大変ではないでしょうか。新宿の某所なんかはリニューアルとしていますが、内装は綺麗になっても外装はむしろベタ基礎ゆえか地表に近い部分の補強工事に近いですね。
しかしバブルはいつどのようなかたちで弾けるのかわかりません。行くところまで行ったあと、ということも十分ありますね。
新宿の超高級タワマンも10年前は入居者の半数が外国人だったところが、現在は日本人がほとんどだそうです。
金融緩和がもたらしたもの
つまり帰納的な論法ですが中国と同様に、日本でも国内における経済格差が拡大していることを示唆しています。株・不動産・金、いずれもこの10年で大きく上昇しました。
この10年、何があったかといえば、日米欧の金融緩和ですね。金融緩和は資産価格の上昇をもたらします。これは相対的に貨幣価値の減少を意味します。なぜなら、価格の上昇によって、同じものを買うために必要な貨幣が増えるからです。
つまり、資産を持つものは富む一方で、持たざるものは購買力が低下します。昨今、この残酷な面が複数の領域で顕在化している印象を受けます。
かつて日本は一億総中流社会と呼ばれたように中間層が厚かったわけですが、国としての成長期を過ぎたあとも成長を求め、その手段を「新自由主義や株主資本主義(例:労働者の給与より株主還元)に求めた(あるいは、求めるよう”促された”)」がゆえの帰結、といえるのかもしれません。
栄養あってこそ、金融という血液
成長手段を金融に求めた国は、往々にして衰退していきますね。かつてイギリスがそうであったように、アメリカが今その途上でしょうか。
金融が経済の血液であるならば、栄養を円滑に輸送することはできても、栄養自体がなければいくら血流を増やしても栄養を運べないですね。
マクロ状況をふまえて、個人の戦略を立てる
ということで、社会というマクロ単位で昨今起きたことは、以上のような視点が成り立ちます。
一方で個人というミクロ単位で人生戦略を考えるには、お金を貯めて資産を買うことが一案です。
しかしその必要性が世間で叫ばれたときには、すでに資産価格は高い水準にあることが往々にしてあります。
ですからその場合は、あせって買わず、少しずつ仕込みつつ、本隊はじっくり下落を待ってよいと私は思います。
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6年前に書いたことですが、ここに記した内容は今も続いていますね。
個人は社会の一部ですから、経済的にも不可分です。