「他人の目が気になってしまう」というご相談です。
ご出版、本当におめでとうございます!!
素敵な本を世に送り出していただきありがとうございます。子供ができたら読ませたいそんな本です。またいつもブログ拝見しています。
突然すみません。投資以外の内容ですが、、
穂高さんの本やブログを読んでいるとなぜ信念がぶれないのか。なぜ30歳でそう思えるのかなど沢山あるんです。
他人の目を気にしないことがポイントなのかなと勝手に思っています。たしか穂高さんも以前、他人の目を全く気にしていないと書かれていた気がします(記憶違いでしたら申し訳ないです
私は職場の先輩などの目がどうしても気になってしまい私がいないランチの場で陰口を言われていないかなど心配してしまう時があります。自分でもそんな自分がいやなのですが・・・
ただの人生相談になってしまって回答いただけるかもわかりませんが、お忙しい思いつつ送ります。これからもお体に気をつけて色々な人に希望を与えてください。応援しています。
私は職場の先輩などの目がどうしても気になってしまい、私がいないランチの場で陰口を言われていないかなど、心配してしまう時があります。自分でもそんな自分がいやなのですが・・・。
そのような状況は、大きなチャンスではないでしょうか。悩みがあると、深く考えるきっかけになりますよね。
他人の目を気にするのは、みなそうだと思います。私も気にするときがあります。ただし、その「度合い」が大切なのだと思います。
つまり、他人の目をまったく気にしないと、自分勝手に生きることになりかねません。逆に気にしすぎると、本当の自分を見失います。適度な度合いとは「自分の信念や個性を大切にしつつ、周りへの配慮は忘れないこと」ではないでしょうか。
- 理解してもらうことは、傲慢かも
- 人の理解は一様でない
- 自分を見失わない
① 理解してもらうことは、傲慢かも?
以前、こんな記事を書きました。
「自分の夢の説明会」でも開かない限り、他人が「あなたの夢の背景にあること」までは正確に汲み取れないという事実を心に留めておいても良いかもしれません。
さらに申し上げますと、汲み取れない以上、それは同じ土台に立脚して話すことがそもそも困難ということになります。
そして、他人の意見にあまり左右されず、自分の確固たる信念があるなら、貫いてもよいのでは。逆に揺らぐようであれば、それは本当の自分の内なる声じゃない可能性を少し疑ってみても良いと思います。
いずれにしても、周囲の目を気にしすぎない。周囲の目を気にして下した意思決定は、後悔生むは必定。
この、「~の夢」という部分を「自分という人間の考え」に置き換えてみます。
つまり、「他人に完璧に理解してもらう」というのは、そもそも現実的ではないことになります。むしろ「理解してもらおう」と思うこと自体が、すこし傲慢なのかもしれません。
他人の目が気になるということは、「理解してほしい」という願望が根底にあるのではないでしょうか。ついついそう思っちゃいますよね。でも「相手に求める」ことをやめると、負の感情はだいたい消えるように思います。
② 人の理解は、一様でない
- Aさんはある事象を見て、αと感じ、
- Bさんはある事象を見て、βと感じ、
- Cさんはある事象を見て、γと感じる
人の受け取り方はさまざまですね。
つまり、自分がどうあっても、他人の感じ方はコントロールできないわけです。コントロールできないことをコントロールしようとするから、消耗します。
「人の目を気にする」際に、このことを思い出してみてください。他人の目を気にするということは、自分がコントロールできないことを気にするということです。
③ 自分を見失わない
他人の目を気にしすぎると、本来の自分を見失うと思います。自分を偽って演じることになりかねません。それは、自分や家族、支持してくれる人々に失礼なことかもしれません。
たとえば他人の評価を気にしすぎると、他人の尺度で生きることになります。
時間をかければ、周囲の人々すべてに自分への理解を深めてもらえるかもしれませんが、人生の時間がかぎられている以上、現実それは困難です。
自分の人生でなにを大切にしたいのかという尺度、そして大切にしたいことを大切にできるのは、自分自身であると思います。
まとめ
- 理解してもらうことは、傲慢かも
- 人の理解は一様でない
- 自分を見失わない
人に偉そうに言える立場ではまったくありませんが、私は当時こんなふうに考えていました。もし共感する部分があったら、思い出してみていただけると光栄です。
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世間体とは、良くも悪くも日本的な概念ですね。良い面、そうでない面、両面あると思います。
セミリタイアは「べき論」である必要はないと思います。ご自分との対話、そして周囲との調和も結果的に大切になると思います。