本記事は、2019年に記したものです。定点観測は客観視につながります。
3年前の所感では、「資産の増加に比例して、心理的な余裕が生じてきた」ようです。
お金が増えてくると、お金への執着が減っていくという事実
30歳でアッパーマス層の次のステージに進んだ雑感としては、「お金が増えてくると、お金への執着が減っていく」ような気がします。
これは約1年前に一応語義上の経済的自由を達成した時にも記載しました。その傾向は徐々に僅かながら強まっているような気がします。
もちろん、今でも私は世間でいうところの「倹約」という行動をしています。
しかし、この「倹約」という行動はお金への執着云々以前に、もともとゲーム感覚で価値観に沿って楽しんでやっているうちに、もはや身体に沁みついて自然体になってきたという方が適切です。
「倹約」は私にとって、単に「自身の価値観に則って、お金をかける部分とかけない部分の取捨選択を行っている」だけであって、あまり節約や倹約という言葉は、私にとってはしっくり来ないというのが正直なところです。
ただ、私の行動を社会通念上一般的な言葉で表すのであれば、やはりそれは「節約」や「倹約」という言葉になるのでしょう。
なので、「お金の執着が減ってきているような気がしている」とはいえ、支出の水準は変わりません。今まで通り、お金をかけたい場所とかけようとは特段思わない場所が変わっていないからです。
つまり、当然ながら「個人的な価値観はお金が増えようが不変」ということですね。
これは納得感があります。「お金が価値観を覆す」ことはないということです。
しかしこのような自身の変化は興味深いところです。これは実際に体験してみないとわからないことであり、また人によってその感じ方も変化の度合いも様々であるはずです。
お金が増えれば逆にお金への執着が増えていく人もいるでしょうし、逆もいる。それは人それぞれですよね。
心理的に少し変わったかなという点を挙げれば、レストランに行った際に、以前ならば頼まなかったであろう「もう1品」を頼むという点でしょうか(笑)
例えばいつも行きつけのお店でおかずを2品オーダーしていたとすると、3品たのみます(笑)
しかしこのような倹約ライフも変遷があります。以前は例えば大阪の「風月」というお好み焼き屋さんに行くと、必ず「風月スペシャル」という色々な具が入った1番高いやつをオーダーしていたような学生でした。
自己紹介の記事でも書きましたが、リーマンショックで、従前まで積み上げたFXの利益を吐き出した時に、一気に倹約モードに巻き戻ることになります。
これもある意味、両極端(支出の多い生活⇔支出の少ない生活)を経験できたことで、非常に自分の価値観が明確になった好例と言えます。
なので、何か1つのことをやる時に、振り切れるほどやりきるというのはおすすめです。ただ、死ぬほどやりすぎてはいけません。
ただ、死なない程度に物事を振り切ってやるのは、とても良い経験になり得ます。それは先述した通り、自分の中である物事に対する両極端を経験することで、自分の中で心地よい程度・度合いがわかるからです。
まとめ
お金が増えてくると、お金への執着が減る傾向があるようです(あくまで私の場合)。
投資をしていると、ついついお金を得ること自体が自己目的化する傾向があると思います。しかし一方で、お金がある程度増えた方が、お金への執着は減る傾向にあると思います。
非常に逆説的(≠逆接的)というか、なかなかお金というのは面白いものだと思います。お金との付き合い方、そしてお金に対する価値観を定期的に観測することは大事でしょう。
そもそも何のためにお金を増やそうとしているのか、お金が増えたら何をするのか、こういったことを自分に定期的に問いかけ、自分と対話するのは、自分の価値観を明確化する上でも必要な行程になります。
ぜひやってみてください。
Best wishes to everyone!
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支出の最適化に類する記事を、以下の通りご参考に供します。
コメント
こんにちわ。
私もまったくお金に執着がない人間です。
200~300万円以上の貯金からはデジタルな数値が増えていくだけで
使いもしないお金がたまる一方です。
ケチではないので必要なことにはお金を使いますが、普段の生活費はしれています。
なんというか、お金を追えばお金が逃げていき、お金を追いかけなければお金の方からやってくるような気がしています。
お金の悩みがなくなると、もっと世の中をよくするためにお金を使いたいと思えたりします。