セミリタイアと子女の教育費の関係
読者からご質問を頂きましたので、以下の点について述べたいと思います。
- セミリタイアの判断に、子女の留学やインターに通う費用などの教育費がどの程度関わってくるか
以下実際に頂いたご質問です。
子は授かりものではありますがセミリタイア判断に子育ての有無、または計画はありますか?
留学させてあげたい、インター通わせたい、家族で海外に住みたいなどあるならば必要なお金も変わってくるかと思います。教育費は数百万から数千万と幅があり対応が変わるかとおもいまして。
1年我慢すれば大学の学費が貯まる、5年耐えればアメリカ留学、とは考えませんか?
ご質問、誠にありがとうございます。
結論から申し上げますと、「経済的な余裕はあるに越したことはないので、1年我慢する等の考えは選択肢には入ってきます。」
ただ、以下から述べる通り、「子女の教育には不確実性や本人の志向・興味も密接に関わってきますから、一定の年齢以降から教育計画からのブレは相当大きな幅になり得るため、あまり計画はアテにならず、計画自体も果たしてすべきなのか」というところはあります。
「現下の情勢で将来の子女の教育を考える」という一定の不確実性
ただですね、我々が当初考えていることというのは、あくまで現下の世界情勢において判断できることに過ぎないので、例えばアメリカ留学を想定していた場合に、アメリカ留学という選択肢が時の流れに連れて従前ほど魅力的でなくなる場合もあります。
例えば私は大学生の時に2009年から北京に留学しました。しかし、私が生まれたその約20年前の1990年頃に中国が今ほど発展するとは予期しがたかった(by祖父世代談)のが実情のようです。
後段に関係してくるので私事を述べますと、2007年頃にもなると、これから確実に中国語の需要は増えるだろうと予期しやすく、中国で中国語と経済学を学ぶべく、北京大学に留学しました。
留学やインター通いは魅力的も、最終的には本人の志向・やる気が決定的に重要
そして、ご質問にもある通り、確かに仰る通り、留学やインター通いは子女にさせたいところですよね。
私も北京大学に留学していた経験上も、留学した方が概して非常に良い人生経験にはなりますし、インターに通っていた方が語学的な面、文化理解の面、一面的で表層的でない多様な価値観を育む面においてメリットは確実にあると言って良いでしょう。
ただ、結局何をするにもそうなのですが、「子供本人自身の興味のあること・やりたいこと」なのか否かが決定的に重要ですよね。
例えば具体例を挙げると、私が留学していた北京にはそれこそ早稲田大学の国際教養学部の方々がたくさん来ていました。国際教養学部というのは、留学が義務付けられている学部ですから、その留学として中国に来ていた方たちでした。
しかし中国語の上達具合は相当差があり、人によっては積極的に街に繰り出してローカルの人々と交わりあう人もいれば、あまり興味がなく授業以外は寮にこもり気味の人もいたりと、千差万別です。
そしてその過ごし方は語学の上達具合や現地への理解度において、如実に雲泥の差が生まれたのを実際に目にしました。
ですから、結局子女に留学をさせたところで、本人に興味がなければその親の努力は結実しにくいという側面は間違いなくあると思います。
教育という概念も、もしかするとこの先変わるかもしれない
更に、教育という概念もどうなるかわかりません。例えば今でも既に米国のスタンフォードなどの有力大学の授業をネットで閲覧できてしまう時代です。そのコストは以前より格段に下がりました。
従前の「有名私立一貫校に行って、大学受験をして、有名大学に入って、大企業()に就職する」という旧来のステレオタイプ的な道を私自身歩んで来ましたが、それはもはやこの先魅力的には思えません。
ですので、私の子女にそういった道を歩むよう促すつもりは一切なく、当人のしたいようにやってもらえば良いです。ただ、当人が想像できる領域は年齢相応に留まる可能性は大いにあるので、あくまで選択肢は示すつもりです。
従来のステレオタイプでは、場所がある程度縛られますが、そのステレオタイプにとらわれなければ、地理的な縛りが解けますから、教育コストも応分に変わってきます。
まとめ
つまり、以下3点から子女の教育は如何様にも変わり得るものなので、それ自体がセミリタイアの資金計画・タイミングに影響を及ぼすかと言われると、あまり及ぼしません。
- 「現下の情勢で将来の子女の教育を考える」という一定の不確実性
- 留学やインター通いは魅力的も、最終的には本人の志向・やる気が決定的に重要
- 教育という概念自体もこの先変わるかもしれない
基本的に私はセミリタイアに関してはやや楽観的です。やや楽観的になれる材料も揃ってきたからかもしれません。
とはいえ、あくまで上述したのは私見ですので、不確実性を排除できるほどの当人の強い価値観、つまり「子女に対して厳格な教育方針がある、あるいは譲れない意思がある」等の事情がある方は、そのコストも想定した上でセミリタイアのタイミングを判断する必要がありますよね。
一方で、そのようなコストを想定した上で、「仮に経済的に苦しくなったらその時また働けば良いやん」というようなやや楽観的な考え方も当然あると思います。
ご参考になりましたら幸いです。
Best wishes to everyone!
資産や不労所得がいくらになったらセミリタイアするのか、という命題に対する考察です。
セミリタイア後に株価の暴落は当然起こり得ます。その局面に対する対策や想定も必要になってきますよね。
経済的自由を達成した後のセミリタイアのタイミングについて考察したものです。結局自身の価値観の明確化がポイントでしょうか。