映画『犬も食わねどチャーリーは笑う』:結婚という「システム」に飲み込まれている夫婦とは

出所:公式ページ
Netflixで観ました。
結婚4年目の夫婦・裕次郎(香取慎吾)と日和(岸井ゆきの)。
鈍感な夫にイライラが募る日和は、妻たちが本音を書き込む“旦那デスノート”というSNSに、チャーリーのペンネームで旦那への不満を投稿していた。
そしてある日、裕次郎もそのSNSの存在を知ってしまう。
印象に残ったセリフ
当たり前に一緒にいれて
当たり前に不満を持てて
それって全然当たり前なんかじゃないんだよなぁ
そうですね。人間関係にかぎらず、多様なことに言えそうですね。
五体満足で、戦争なき環境で、安穏と暮らせる等の状況に対しても、つい忘れがちになってしまいますものね。
結婚っていうシステムに飲み込まれてた
妻とか夫だとか、勝手なイメージでくくって、システムに乗っかっちゃえば楽だけど、それは自分が消えちゃうってこと
人間関係を社会制度や既存の枠組み(システム)に当てはめて規定することは、本来ナンセンスだと私も思います。
人間が十人十色であるのと同様に、多様な人間同士の関係性も必然多種多様であるわけで、知人・友人・恋人・夫婦など、単純に大別できない場合も世の中には生じるのでしょう。
システムというのは管理者(例:組織、集団)にとって管理しやすく都合がよいものであって、管理される側(例:構成員、個人)にとってはシステムの原則に規定されるという制約が生じます。
結婚とは、いわば人間の関係性を法律上で規定する形態でもあります。その時点でシステムに乗ると。そのシステムの概念が前面に出ると、まさしく「結婚っていうシステムに飲み込まれてた」という作中のセリフの状態になるのでしょう。
文明化前の社会において、つまり結婚制度が存在しない社会においては、配偶者という概念は存在しなかったはずです。
ただ単に別個の人間が相互に関係していたということですよね。
本作はそこまで具体的ではなく、あくまでふわっと描くにとどまりますが、以上のような主題も読み解けるように思いました。
夫婦というものについて一寸考えさせられる作品かと思います。
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