映画『ある男』 自分とかけ離れた世界を追体験できる作品
映画の魅力のひとつに、小説と同じく「自分の半生とは異なる、まったく別の世界や人生を追体験できる」ということだと思います。
私たちはふだん自分や家族、友人、会社、習い事、地域社会などと接しながら限定的な世界で生きています。
しかしたとえば、
- プロボクサー
- 犯罪者の子ども
- 在日外国人の弁護士
これらは作中で登場するあくまで一例の人物像ですが、こうした人々がどのような境遇や感情で日々を生き、人生を描いているかは知る由もありません。
- 名作『ライオンのおやつ』であれば、末期のホスピス患者
- 『52ヘルツのクジラたち』ならば、虐待を受けた経験のある子ども
そうしたさまざまな人生を少し知り得ることができます。
映画や小説を通じて、実体験まではいかないにせよ、間接的に感情移入や追体験が一定程度はできるということです。
そうやって、たとえ疑似的であろうと多様な人生体験をみずからの内に蓄積し、想像力や洞察力、世界観が少しずつ広がっていくように思います。
むしろそのように映画や小説、人づての話などを通して多様な世界と人々がいることを知ることで、たとえば
- 自分が社会的(・経済的)な階層のどのあたりに位置し、
- 社会のなかでどのような足どりで生きてきて、
- それは一般的に見た場合にどのような立ち位置なのか、
などといった自分を客観視する視点を備えやすくなると思うのです。
すると、歳を重ねるにつれていろいろとうまくいく可能性が高まると思います。なぜならある程度は客観視をすることで、
- このことをこの人に言うとよろしくないな
- 逆にこういったことなら差し支えなく、事が円滑に進むだろう
といった勘のようなものが徐々に磨かれていくはずですよね。この勘があると、なにかと事が上手く運ぶ。
できれば20代のうちに済ませておくと理想的だと思います。早期にしておけば、早い段階で人生の要所を押さえることにもなると思います(私はできている、という文意ではありません)。
こうしたことはよほど天性の先天的な性質や才覚でもないかぎり、単にのほほんと生きているだけでは磨かれにくいのではないでしょうか。諸事に興味や好奇心を持って、深く掘り下げていく習慣が大いに資すると思います(繰り返しながら、私はできている、という文意ではありません)。
自分の子どもにも、こうしたことはぜひとも手を変え品を変え、伝えていきたいことです。
そして、本作『とある男』は、『ライオンのおやつ』や『52ヘルツのクジラたち』と同じく、「自分がふだん接することのできない世界や人々の人生を一定程度追体験できる」といった類の作品と言えると思います(ほか2作ほどの深い印象は残らないかもしれませんが)。
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