経済的自由を得ることで「自分はあえてこう選択した」という納得感が醸成される

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経済的自由を得ることで「自分はあえてこう選択した」という納得感が醸成される

先日こちらの記事を記しました。

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一文で要約するならば「家族との自然豊かで素朴な暮らしは、人工物の多い現代における贅沢であり、さしてお金もかからない」といった内容です。

経済的自由が、「複数の選択肢から選ぶ」という権利を与える

さはさりとて、経済的な余裕があるに越したことはありません。

「経済的自由という精神的な余裕を得られたことで、逆に素朴な生活が映える」という部分はあると思います。

いざとなれば豪奢な生活もできるけど、あえて素朴な生活をする――。

そうして自分で主体的に「選択」したことで、納得感が醸成されます。これがもし経済的に困窮していて、素朴な生活をする以外に選択肢がない状況ならば、その生活が贅沢とは感じないかもしれません。

つまり、以下の両者は、結果として同じ「素朴な生活」をしているわけですが、満足感が異なるということです。

  1. いざとなれば豪奢な生活もできるけど、あえて素朴な生活をする
  2. 経済的な理由で、しかたなく素朴な生活をする

②より①のほうが、納得感が生まれるでしょう。消極的選択ではなく積極的選択だからです。

精神的自由を得るために必要なものや金額は、人によって違う

しかし一方でそもそも認識しておきたいのは、人によって感じ方はさまざまだということです。

2,000万円で精神的な余裕を得られる人もいれば、2億円ないと不安な人もいます。

そして、そもそもお金の多寡とは別の軸、たとえば宗教や精神的な修養で精神の自由を得る人もいるでしょう。

したがって、精神の自由を得るにあたって、必要なお金の額や必要なものは人によって異なるということですね。

まとめ

私は先日、「自然豊かで素朴な生活こそ現代の贅沢だ」という趣旨の記事を記しました。

一方で、「以下②ではなく①という背景があるからこそ、贅沢だと感じるかもしれない」という可能性を留保しておきたいと思います。

  1. いざとなれば豪奢な生活もできるけど、あえて素朴な生活をする
  2. 経済的な理由で、しかたなく素朴な生活をする

より一般化して言えば、選択肢がAしかない中でAを選択するのと、選択肢がA~Cのように複数あるなかでAを選択するのでは、満足感が異なるということです。

そして経済的自由は、複数の選択肢を持てるようになるということです。

そしてさらに言えば、複数の選択肢を前にして選択できず戸惑う人もいれば、選択できることによろこびを覚える人もいて、人によって感じ方は千差万別なのでしょう。

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