自由に生きるためには。なにかに依存しない状態の構築。
「自由に生きる」
こう聞くと、やや陳腐かつ「そんなん無理やろ。笑」という時代もあったかもしれません。
状況は変わってきています。以下の勃興も要因と思います。
- インターネット(移動の自由・副業の自由・知識共有の自由)
- 証券投資の選択肢の広がり(金融資本の移動の自由)
インターネットの登場により、
- ネットインフラを背景に場所を問わずの現代インフラが利用可能になり、
- YouTubeなど副収入の幅が広がり、
- 国内外・地理的条件を問わず、知の共有が一部進み、
- 付随して、金融ビッグバンという政策も相まって、ネット証券会社の台頭・市場原理による売買手数料の低下、外国株などへの投資環境整備
- Netflixなど、一部娯楽の低コスト化
情報技術・社会インフラのこれら観点に加え、日本では以下も恵まれています。
- 所有権が認められている
- 民主主義が認められている
- 法治国家である
(なお、形式上・実質的の要素がどの程度あるか、そこまではここでは考慮せず)
たとえば、これらが認められていない結果、自由な生き方は事実上制限されている国も世界にはあります。日本はこの点で極めて恵まれています。
以上述べたような、社会的・時代的背景もあり、「自由に生きる」ことが以前よりも現実的になりつつあります。
自由に生きるために必要な3つの要素
では、自由に生きるためには、何が必要でしょうか?
それは、以下に集約されると考えられます。
- なにかに依存しない状態を構築すること(人的資本・社会資本・金融資本のいずれも充足させること)
経済的自由・セミリタイア・FIREなどをめざす際にも言えることですが、「なにかに依存しないような状態を構築する」ことは肝要と思います。
依存すると、自由は制限されます。
では、「なにかに依存しないような状態」ってなんでしょうか?
なにかに依存しないためには、人的資本・社会資本・金融資本をいずれも潜在的に享受できるように充足させておくことが必要と思います。
- 人的資本であれば、語学をやっておく
- 社会資本であれば、世界各国に友人を作る
- 金融資本であれば、一定割合を株式に割いておく
金融資本・株式投資については、何度もブログで取り上げてきたので、本記事では人的資本・社会資本の観点で以下述べます。
人的資本:語学をコツコツやっておく
語学、やってて損ないです。
確実にチャンスは広がります。「チャンスは準備しているものにしか来ない」と言いますが、「日頃から語学学習をしておくと、なんらかのチャンスはほぼ確実にいずれ舞い込む」と、個人的には思います。
方策としては、濃密な留学です。あるいは環境すべてを外国語で埋めることです。
まず、語学が出来ると、ぱっと思いつくだけでも、以下重要2項があります。
- 希少性が高まる(=人的資本の価値が高まる)
- 知れること・知り合える人が増える(=世界観が広がる)
①希少性が高まる
語学ができると、語学単体ができることによる希少性というよりも、組み合わせによって希少性が飛躍的に高まる時があるのです。
たとえば、
- 語学 × マイクロツーリズム
- 語学 × インバウンド向け不動産事業
- 外国人向けの特定のスクール
など挙げればキリがないですが、「強み×語学」で掛け合わせると、人的資本の希少性は高まる傾向が見られます。
「セミリタイア=働かない」ということではないですね。その後の労働・活動にも寄与する要素です。
②知れること・知り合える人が増える
語学を通じて外国・外国人を知ることで、人生に広がりを持たせる上で欠かせない「世界観」の広がりにつながると考えられます。
- 「兵役がない国がいかにうらやましいか」
- 「個人と国家の比較論」
- 「人生はなんのためにあるか」
- 「某組織の少数民族に対する現状」
など、異なる国の友人が供する視点は、普段気にしない点ですね。多様な文化・価値観・民族を知り、そして外から見て初めて自国を客観的に見るきっかけにもなります。
これらは、思索を深めるに有用。自身の「精神的自由」という個の確立にも密接に関わると私は思います。
精神的自由・個の確立とは、集団主義・個人主義のはざまで、バランスよく自身を位置付けることでもあると考えます。
集団主義の傾向が強い国、個人主義の傾向が強い国、各々あります。
それぞれの長所・短所・特徴などを知ることで、「自分の生き方に反映できる部分やマッチする点」を自然に見いだし、活用できます。
これは、「絶対的な自分の軸を確立する」ことにもつながります。
社会資本:各国に友人を作る
日本は事実上の単一民族国家と言え、少なくとも多民族国家ではないと理解します。
普段、私たちは似たような見た目・考えの人に囲まれています。
しかし海外では、「変わっているなぁ」と思うレベルが違います。根本的に考え方も、生活様式も宗教的価値観も、180度異なっていることがあります。
それはもう日本人の感覚でいう「変わってるなぁ」というレベルではないんですよね。これは、日本に住んでいると忘れそうになる事実です。
友人が多様であれば、友人に変わっている人が多ければ、同質性を除けます。その分やはり世界観は広がります。なにかに気づくことが多くなります。物事のかみ砕き方が多様になります。
なにか特定の事象に対して、外国の友人は、見方が全く異なります。これは都度、発見をもたらします。
やろうと思えば、留学せずとも外国の友人は作れます。私は学生時代、キャンパスにたたずむ外国人には手あたり次第に話しかけていました(笑)
たとえば人生におけるライフワークを「いろんな国の人と、いろんな場所で、いろんなことをしたい」とする際には、自由が必要ですね。経済的な自由も、社会的な自由も。
まとめ
- 人的資本であれば、語学をやっておく
- 社会資本であれば、世界に友人を作る
- 金融資本であれば、一定割合を株式に割く
おそらく上記3事項は、社会システムに変化がない限り、生まれ変わってもやはりやると思います。現時点で、そう思える3事項です。
さらに、自活する、自然との共生という視点も大変興味深いところです。以前紹介した「サバイバルファミリー」という映画は、共通する価値観があると思います。
なお、自由な生き方を考えるにあたり、拙著「本気でFIREをめざす人のための資産形成入門」は、自信を持っておすすめできる書籍です。ご一読いただければと思います。(Amazonで在庫切れも、週明けまでには補充との由。楽天は在庫復活しています。)
ご参考になれば幸いです。
Best wishes to everyone!
サバイバルファミリーのご紹介です。
金融資本について、特定の状態を整えれば、前提条件が変わらない限りは増殖していく側面が見られます。
移動の自由は、今後も多様なサービスにより実現可能性が広がりそうです。
コメント
穂高さん
いつも楽しくブログを拝見させていただいております。人的資本・社会資本という見方で人付き合いを考えてはいなかったので、新たな視点が得られました。
英語については、私もあって損はないスキルの一つだと思います。特にFIREやお金にまつわるいろいろな情報は英語で書かれている方がより多くのかつ色々な視点で語られており、自分のポジショニングを理解するためにもアプローチできる情報は多いに越したことはないですよね。