音楽や芸術など多様なものに触れて、感性を磨き、人生を深く味わう
本や映画から学べることが多々あるように、音楽や芸術から感じられることも多々あると私は思います。
たとえば、歌手Coccoの代表曲のひとつである「強く儚い者たち」
この歌詞は、思春期に聞いてちょっとした衝撃を受けたので印象に残っています。
「まぁ、長い人生、そういうことがあってもおかしないんやろなぁ」と。
著作権の観点から歌詞を全文載せることはできないため、気になる方はリンク先をご覧ください。
読むとわかるかと思いますが、人間の感情は無常である(=流転する、流動的である、儚い、常に同じところにとどまっているわけではない)という一面が鋭く表現されています。
人間とは、結局はどこまで行っても動物的な一面を持つことは否定できない摂理です。
文明化して以降の社会ではその摂理にフタがされがちです。いわば「無常であることがけしからん」といった風潮で、よその家庭のゴシップにまで興味津々な人もいます。
しかしそのようなゴシップも、言ってしまえば「動物のなせる業」という摂理で簡明に説明できる部分もあります。
もちろん、人間は動物である以上に理性を持つ生き物ですが、しかしそういう面もあるよね、ということです。
以上は音楽(というか歌詞?)を通して感じたことの一例ですが、音楽や芸術、絵画に触れることは「人間の感性を豊かにする活動のひとつ」だと私はとらえています。
感性が豊かなほうが、情感豊かで、多くのことを深く感じ取ることができるのではないでしょうか。細やかな機微を察知する能力や観点の多様性を得られ、表現できる世界観が広がり、独自性と子どものような純粋さを保持でき、豊かな人生につながる要素だと思います。
感性が豊かであることは、よくいえば細やか、わるくいえば繊細な部分がある一方で、他者の感情を汲み取り、調和しやすい面もあるでしょう。逆に「繊細」と対照的な「メンタルが強い」ことは、一歩間違えると他者の感情に想像がおよばず独歩的にもなり得ます。
どちらも一長一短、多様な側面がありますが、感性と情感は「人生を深く味わう」という観点からは親和性が高いように感じられます。
子育ての際も、自然科学に触れてもらう機会を設けるのも重要だと思いますが、加えてピアノなどの習い事や、演奏会や美術館などで芸術に触れ、感性を養うことも大事だと私は思います。
FIREしてからは旅行などで遠方を訪れた際も、地元の近くで過ごす際も、機会があればお寺で開かれる演奏会や、博物館・美術館などに意識的に訪れたりしています。
感性を磨くとか言ってますが、以前は芸術に対してそこまで何か考えをおよぼすこともなく、感性とかなんやねん(笑)といった部分もあったとおもいます。これもひとつ無常という名の変化かもしれません。
関連記事