国家的中枢機能を米国に依存する日本、私たちはどうしたらよいのか
日本は食糧生産と軍事力という国家的中枢機能を米国に握られている。さらに自国のための法制度変更さえも憲法が足かせになっている。主権が欠けている状況に国民が危機感を持たないと。
日本の食料自給率向上を米国が絶対許さない訳 日本は「食料植民地」となっている https://t.co/1OmleffXwj
— 穂高 唯希|Yuiki Hotaka (@FREETONSHA) June 1, 2022
まずこの記事を見て思ったのは、「大手メディアでもこの手の報道をするようになったか」ということです。
個人的にはこの手の話、たとえば
- パンと牛乳の給食制度の戦略的導入、
- 牛肉やオレンジの輸入自由化による弊害、
- 洋食文化の戦略的普及
などは文献や農家さん、上の世代の政治関係者からも聞いていたので、個人的には目新しさは感じませんが、東洋経済のような大手メディアも言及するのだなと思いました。
テレビ局からの報道も望ましいと思いますが、見込めないのでしょう。
以前の記事でも軽く同ジャンルを触れた通り、戦後GHQの対日占領政策は文献を調べるほど、以下の点で通底していると考えられます。
- 日本をいかに弱体化させるか
- 太平洋戦争の物理的かつ道徳的責任をすべて日本に転嫁させ、日本国民に対していかにその罪悪感と戦前体制の全否定感を植え付けるか
- 日本を食糧輸出先として米国の国益にかなう国としていかに存続させ続けるか
- 安保協定という名のもとの軍事的隷属、精神的非武装
このような情報の真偽を完璧に求めるならば、当時の当事者でしか判然としない部分はあるにせよ、当時の拡張主義的な戦勝国らしい政策でしょう。
④は情勢の変化で変わった部分はあるにせよ、真面目でおかみには公然と逆らわない国民性も相まって、GHQの対日政策は今日まで影響してきたのではないでしょうか。
戦前と比べれば日本人の精神性は一面においては骨抜きにされ、そして自分で考えるという主体性を失ってしまったように思います。教育や思想が人を変えます。
綺麗事で国土や国民を守り切れるほど、国際社会はお人よしだらけではありません。
抑止力があってはじめて冷徹な国際関係を秩序だてることは、歴史が証明していると思います。
ましてや今回のウクライナ危機で判明したのは「核放棄をすれば、安全を保障する」と米国やロシア・ドイツ・フランス・中国が保証した(ブダペスト覚書)にもかかわらず、「ウクライナが核武装を解いたあとに交戦状態となった」という現実です。
平和を祈念し、抑止力なき武装は、理想世界では理想的な理念だと思います。しかし国際社会を現実的に考えれば、理想と現実のバランスが必要だと思います。
永世中立をうたうスイスでさえ、確固たる軍事力を保持しています。中立を標榜するだけでは平和が保たれないと考えている証左ではないでしょうか。
ではどうしたらよいのか
ではどうしたらいいのでしょうか。
それはやはり国民一人ひとりの意識と投票行動が変わっていくほかないのだと思います。
民主主義国家である以上は、ひとりひとりが勉強し、現状を知り、政治に関心を持ち、そして投票という行動に移すこと。そして国家運営に反映させていくことがシステム上も合理的であり、民主主義(国民主権)の国家で国民が担う役割です。
また、短期的な視点ではなく長期的な視点で俯瞰的に物事を見ていくこと。国民が国家観を持つこと。そのためには、やはり平素から勉強が必要だと思います。
どのように勉強すればいいか
人によっては時間的制約などから難度があるかもしれませんが、
- 地上波ではなく、BSを見る。BS TBS「報道1930」、BSフジ「プライムニュース」などで各分野の専門家の意見に耳を傾ける(ただし盲信ではなく、あくまでひとつの思考材料として)
- 文献をあたり、理解を深める
- 上の世代の話に耳を傾ける
- 史跡や資料館等を訪れる
- 海外と交流を持つ
といったところでしょうか。
自分の主義や理念、意見を主体的に持つには、主体的に勉強するしかないと思います。
もちろん、日々の諸事に追われ忙しく、国のことなんか考えている暇はない方が大多数かもしれません。
しかし社会の構成員である以上は、政治や国家と無関係ではなく、なんらかの形で必ず関わるものです。それが近代国家のシステムであり、秩序を形成してきたシステムでもあります。
そしてそういった行動が子孫の未来を規定しますから、政治は批判するだけの対象でも、他人事でもありません。むしろ私たちの生活に直結します。
いずれにしても情報に接する際には一面的な見方をするのではなく、適切な距離で俯瞰的に物事を見て行くことが肝要と思います。