FIREした後、どこまで他者に自分のことやセミリタイア事情を言うのか
以前、「FIRE後の世間体」についてご質問をいただきましたが、今回は「FIREした後にどこまで他者に自分のことを言うのか」に関するご質問です。
確かに日本ではこういう部分に配慮する方が他国に比べて傾向として多いと思います。海外(と一括りにするのは甚だ微妙ながら)は他人のことをあまり気にしないというか、そういう部分もみられます。よくもわるくもです。
題名: 質問:自分のことをどこまで言うか
メッセージ本文:
はじめまして。葛西と申します。
40歳で医師としてフリーで働きつつ、小さいながら不動産関係の
穂高さんが、FIREをされる前からブログ読ませていただいてお
その意思と行動力に感銘を受けまして、毎日ブログを拝見するのが
本日、お伺いしたいのは、題名にある通り「どこまで他者に自分の
私も徐々にセミリタイアしつつあります(と言ってもまだ週に半分
今まではマンション住まいで住人関係も希薄だったのですが、京都
そこで、周囲の人らに職業聞かれたときに、医師なのか、とか、セ
医師というには日中もフラフラしているし、町内会などむしろ積極
穂高さんは畑や足湯などで地域住民、それも年配の方と交流されて
ご意見をお聞かせいただけますと幸いです。
今後もブログを楽しみにしています。また、京都もお好きとのこと
当方、北海道出身でして、穂高さんが北海道好きでいてくれるのも
勝手申しました。失礼いたします。
ありがとうございます。京都にお住まいですか。素敵なところですよね。特に鴨川沿いなんかは本当に散歩してて気持ちよくて大好きです。
京都は街並みひとつひとつに風情を感じられる場所が多くて、文化・歴史の深さを感じられて魅了されます。
こんにゃくのようになることも、時と場合によっては必要
さて、「FIRE後に他者にどこまで内情(職業・セミリタイア状況など)を言うか」ということですね。
そもそもFIREかどうかに関わらず、必要に迫られないかぎり基本的に内情すべてを開陳する必要はないと思いますが、必要に迫られる場合が想定されるからこそご質問されているのだと推察します。なので、その線に沿って回答します。
結論的には、(FIRE・セミリタイアしているかどうかに関わらず‥※)人を見る、あるいはこんにゃくになる(後述)かたちでしょうか。
※‥FIREする/しているかどうか以前の話として、必要以上に何かを話さなくていいことが、世の中にはあるからです
人のどういうところを見るか、誤解を恐れず強いて具体例を挙げるとすれば、
- 旧来的な価値判断をする人なのか、
- 前衛的・進歩的・新進的なものを受容する人なのか、
というところでしょうか。
人をすべて二分できるわけでは当然ありませんが、嗅覚的にわかるときはわかるものです。無論、人の内情を軽率に他言する人に対しては本当の内情を話す必要はないですね。
人間は傾向として「理解してもらいたい」し「理解してもらえる人が多ければうれしい」という生き物かもしれません。いわゆる誰しもにある承認欲求とも言えます。
しかしわかる人にだけわかってもらえれば十分でしょう。そもそも「背景・知性・世界観・人生観・理解力・許容範囲・生い立ちなど個々人によってすべて異なるため他者に完璧に理解してもらおうというのは土台むりな話である」という考え方もやはりできますよね。
自分の姿を硬直的に押し通す必要もなければ、あまねく理解してもらう必要もないといえばないかもしれないですね。
こんにゃくのように右から鋭利ななにかが来たらぷるんとはじき返し、前方から固いなにかが来たら包み込んだり身をよじったってよいかと思います。
ご質問者さまであれば、ヘルスケア業界・医療関係に属すということですよね。過度に具体的に言わずとも、かように具体性を少し減じて表現することもひとつではないでしょうか。
現実世界で事に当たるには、人間関係を円滑に進めるには、やんわりとこんにゃくのような要素も、時と場合によっては必要かと思います。
ましてや京都にお住まいということであれば、「お茶漬けでも」という有名な話があるように、少なくともやや上の世代では「口上と内心は別」ということもあります。
そういう意味では関西はいくぶん気楽さを見いだせる部分もあるかもしれないですね。
ご参考になれば幸いです。
Best wishes to everyone.
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セミリタイア後の世間体というお題でご質問をいただいたものです。
「他人の目が気になる」というのも、よくもわるくも日本で特徴的にみられる傾向かもしれません。
国が変われば事情も変わりますね。