毎日、資産額や株価の変動が気になってしまう場合
本記事は、資産運用をしている人ならば、心当たりがあるかもしれません。
- 3,000万なら3,000万
- 5,000万なら5,000万
- 1億なら1億
- 2億なら2億
いつのまにかその金額が当たり前になっているケースもあると思います。
とある人
今の資産が当たり前になって、いつのまにかそこが “スタート地点” になっていて、もっともっと欲しいと。
今あるものへの有難さは意識の外で、上へ上へと、何ものでもない何かを追いかけているような感じでしょうか。
市場に投じているお金というのは、今やデジタル的に数字が日々動いています。
毎日NY市場が開くたびに、誰かが家のタンスから諭吉さんを取ってまた戻していくわけではありません(物理的には)。
にもかかわらず、悲喜こもごも、一喜一憂というのが私たちの性(さが)でしょうか。
もちろん、金額はたしかに変動しますし、実際の時価評価も変動しているので、物理的にお金が動かなくともお金は実質的に増減しています。
ただし、たとえば以下の両者に本質的な差異はないはずです。
- 証券口座や市場価格が見れない状態で1年後を迎えたケース
- 毎日株価をチェックして1年間売買をしなかったケース
それでも、毎日の市場価格が気になりますよね。投資という行為自体が「将来の成長性に賭ける」ことを意味するため、その短期的な心理反応に特段の意味は見いだせないにもかかわらず。
もちろんそれがよいわるいと言っているわけではありません。ただ、それはもう自分ではなくお金が主体になっているのではないかと。言ってしまえば、お金が自らを規定する尺度のようになっているのではないかと。
とはいえ、そういう時期を経ることも無駄ではなく、資産形成期には気になるのも当然ですね。
経済的自由を達成するメリットとは、「お金を俯瞰できるようになる余裕を持てること」が金銭面における大きなメリットかもしれません。
つまり、経済的自由を達成すれば、お金という魔力や制約から解き放たれやすくなるのかもしれません。なぜ「かもしれません」とぼかしたのかと言うと、いくら持っても、もっと欲しいもっと欲しいと願う人も見てきたからです。
では、お金とはどういうものでしょうか。
それを知るのに適する映画を挙げるならば、『サバイバルファミリー』や『億男』です。Netflixでも観れると思います。
人生、あっというまだなと思います。やりたいことは尽きないわけですが、取捨選択する必要があります。人生で何を大事にするのか、常に問われています。
お金や株価の値動きよりも、周囲の人のことを考えたほうが人生は豊かになりますし、結果的にお金もついてくると最近感じています。
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お金も、資産形成も、FIREも、自分にとってどういう位置づけなのかを明確に定義できると、好ましい方向性も明確になると思います。
とはいえ、お金は寝かせておくにはもったいないものですね。
ただし、こんな観点もあります。