むちゃくちゃでカオスな状態がダイナミズムを生む
秘密のケンミンSHOWという番組で、OSAKAのミナミの方にある新世界特集がやっていました。
OSAKAのフリーダムで、ディープで、良い意味で適当で、いろんな多様性を受け入れるその良さが非常によく表れている特集でした。
- 居酒屋で缶ビールを飲んでたら、知らんおっちゃんがいきなりその缶ビールを飲もうと手を伸ばして来たり、
- 商店街で普通に缶チューハイ飲んでたり、
- ズボンが道路に脱いであって、靴下脱いであって、パンツ脱いであったり、
- 急に手を掴まれて「おじさんと沖縄行こう」とか言われたり、
- ブリーフ一丁のおっちゃんがいたり、
- 星野リゾートを星野監督と勝手に解釈したり、スポーツブランドと勘違いしてるおっちゃんがいたり、etc…
これぐらいむちゃくちゃでカオスな感じ、個人的に本当に素敵なことやと思います。カオスな方がダイナミズムが生まれます。みんな好き勝手各々のベクトルの方向に突っ走るのも一興です。
私が通っていた関西の中学・高校は学則というものがあまりなく、一風変わった人が集い、各人が自由に伸び伸びと育つ、それこそ動物園のような素晴らしい環境でした。
常識と呼ばれるモノ
中国やインドでは、あらゆる日本の”常識”と呼ばれるものは通用せず、根本的に異質な文化と言って良いでしょう。この”異なる”ということは非常に面白きことであり、排除すべきことではありません。
外国で日本の”常識”と呼ばれるものがことごとく根底から覆されるのは、非常に刺激的でもありました。
この”常識”というものが、独り歩きしていない感じ、それが大阪のこのあたりの地域では感じることができるのではないでしょうか。
最近大阪の梅田では高層ビルが乱立しだして、大阪の庶民的な食堂街のような”らしさ”が薄れつつあるのが気になります。東京や外国の大都市のように同質化・均一化の波にさらされてきているように見えます。
東南アジアの国々に行っても感じることは、大都市はどこも似たような街づくりになってきているということです。ショッピングモール、フードコート、高層ビルのレストランやアパレルショップという、いかにもな感じが増えてきています。
田舎の方が味があるような気がしています。
人情味のあふれるOSAKAの通天閣周辺のカオス具合。これこそが、特に東京では少し薄い色彩を帯びたものなのかもしれません。
一方で、多様性という言葉を借用し、都合よく解釈することで、突き抜けすぎた自分を受け入れろというのもそれは傲慢になりがちなので、常軌を逸したやりすぎというのは考え物で、一定のバランス感覚も求められるというところなのでしょう。
アダム・スミスの道徳感情論
「見えざる手」や「国富論」で有名なアダム・スミスが最初に発表した本である「道徳感情論」ではこう説いています。
私たちはみんな自分のことを考えて行動する、もちろんそうでない人もいます。しかし働くとなると自己利益を考えるものです。各人の自己利益の追求の行きつく先は、それこそ盗みや犯罪がひっきりなしに起きて、社会が無秩序になりそうです。
しかし、それでも社会的に秩序が保たれている理由は、「同感」という概念にあるとアダムスミスは考えました。
みんながそれぞれ勝手な行動をとってはいるけれども、他人から「同感」が得られる限り、社会的に正当だと認められるから社会はある程度秩序立っているのではないか、とアダムスミスは考えたのです。
自分の利益のみを考えて行動してるように見えても、それが家族や恋人のためだったり、許容範囲であれば、その行動は許されるということです。逆に、これはやりすぎだろうと他の人から「同感」を得られなければ、行動にブレーキがかかる。それゆえ社会秩序は保たれているとする考えです。
アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)
まぁ、多様性という言葉を借りて突き抜けるのはいいけれどもやりすぎは考えもの、つまりバランスが大事ということだと私は解釈しています。
Best wishes to everyone!
やることやってれば、ソックス履いてなくてもOK。
やることやってれば、スーツに縛られる必要なし。
自分を貫き通して有給休暇をしっかりと取得することも肝要です。