Netflix『ブラック・ミラー』:「世にも奇妙な物語」の未来ハイテク版
最近Netflixで『ブラック・ミラー』をちょくちょく見ていまして、今のところどのエピソードもはずれがなく、「そうきたか~」と思う内容多々。

ひとことで言えば「世にも奇妙な物語」の未来ハイテク版。
拙著『#シンFIRE論』でも触れましたが、テクノロジーの発展は功罪両面どうしても存在するものと思います。
「技術革新=原理の複雑化」ですから、物事がどんどんシンプルでなくなっていきます。例を挙げれば、糸電話なら原理は単純ですが、スマホになれば内蔵チップは複雑化の一途をたどります。
すると一部の人のみが原理を知り得て、一般層は「なんだかよくわからないけどとりあえず利用している」という状態になりますね。
さて、以上は前置きですが、『ブラック・ミラー』を見ていると、やはり以上のことを想起させます。
AIの発達も、はたして人間を幸せにするのか、それはなんとも微妙なところだろうと思います。スマホの登場がその証左となったように、「強力なツール(例:スマホ)」が登場すると、人はそのツールに夢中になります。
電車に乗ればみなスマホを見ています。代わりに減ったのは「人間同士の物理的な交流」でしょう。目の前に家族や友人がいてもスマホをいじっている光景を何度か目にしたことがあるはずです。
もちろん、技術が進むと本当に便利です。スマホひとつで何でもできます。AIに聞けばWikipediaのように即座に教えてくれます。しかしそれは同時に、人間が人間たらしめるものを失い、機械に近づいていくような気もしています。
SNSを開けば、リプ欄にはもはやAIアカウントなのか、生身のアカウントなのか、判別のつかないものもあります。動画や写真も、AIなのか実物なのか、真贋がわからないものもあります。
そうやって、判別のつかないことが増えていくんですよね。

とちょっと後ろ向きな要素も書いてしまいましたが(笑)、しかし事象を正しく認識するには、よい面ばかりでなく、内包するよろしくない面やリスクも同時に認識することは不可欠だと思います。
おそらく今後、バーチャル世界はより現実に即したものに発展していくのでしょう。Xは今後「決済」という金融の分野も握ろうとしています。ネットの世界と現実世界がより融合していく流れになるはずです。
技術革新の恩恵には浴しつつも、豊かな自然や土を触ること、そして現実世界での交流や情愛、そうした「社会的な動物」である人間本来の原始的な行動も大切にしていきたいとあらためて思います。
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