FIREから4年経っても、その景色は決して色あせない
ついに、ついに、7年半毎日思い描いていたセミリタイアを実現しました。振り返れば、労苦ありとも実り多きサラリーマン人生でした。愛すべき豚舎を含め、全てに感謝です。
【念願】30歳で本当にセミリタイアしました。【FIRE】 https://t.co/uvR6aKuC8C
— 穂高 唯希|新刊 #シンFIRE論 (@FREETONSHA) October 18, 2019
このツイートからはや4年。
この4年、ずっと望んでいたことが実現し、そんな日常に感謝しています。
彩りある景色が、ずっと色あせない
「いまは景色がカラフルに見える」
今年FIREした友人が、下のベンチに寝転がって、空を見上げながらそう言っていました。
まさにそのような状態が、4年も続いています。
たしかに率直に言って、停滞を感じた時期や、さらによりよい何かを求めて模索した時期もありました。
しかしそれはあくまで重箱の隅をつつくような枝葉末節の類で、大きな人生の波としては、やはり望んでいた波。
たとえばいまこの記事は、朝8時に、東京都の皇居が見える喫茶店で書いていて、会社員時代のさまざまなことを思い出しつつ、いまこうして丸の内を眺めている事実に少なからぬ感動を覚えます。
そんなふうに受け取る向きもあるかもしれません。いやしかし個人的にはまったくその手の感慨ではないのです。
この感動は、おそらくいつになっても色あせない。
それぐらい私にとってFIREという一度きりの人生における自由の獲得は、強烈な人生の転機であり、一匹の動物がようやく野に放たれたような、羅針盤なき航海に出た瞬間でした。
それはすなわち、
- マウント合戦
- 不可解な不文律
- 醜悪な足の引っ張り合い
そうしたあらゆる「現代的で、俗物的で、名利にとらわれた領域」からの不可逆的な脱却でもあったのです。
そして上に挙げたような行動様式は、決してその人自身が性悪というよりも、現代文明の犠牲として「人間性が失われやすい環境」が大いに関係していると思うのです。
満員電車で人間の醜悪かつ獰猛な一面が顔を出すように、環境次第で人は醜悪になる。職場でいかに嫌な人でも、家に帰れば子どもにとってかけがえのない優しい父親だったりしますね。
現代文明の犠牲となった「動物性」をとりもどす
- 作物を育て、
- 森の息吹を感じ、
- 道端に咲く花を愛で、
- 四季の移ろいに情緒を感じ、
- 人間という動物としての躍動
そうした現代文明の犠牲となった人間性、動物性をとりもどすこと、それがFIREの1つの重要な側面ですらあると思うのです。
文明の進歩は、今後もさまざまな弊害を生んでいくと思います。理論的ではなく、直感的にそう思います。
米国には「アーミッシュ」という、文明化した社会と主体的に距離を置き、農耕や牧畜で自給自足する、一昔前の生活を堅持する人々がいます。
私は、米国の市場原理主義や効率主義は人間の幸福に寄与しないものであり、日本は欧米に追従すべきではなかったと考えていますが、米国のこのアーミッシュに関しては学べることが多々あると思います。
アーミッシュほど徹底するのは難しいにせよ、しかし彼らは文明進歩の必然的な産物でしょう。本能的に現代文明の負の側面を感じとった帰結としての生活様式、大いに理解できます。ちなみに彼らはその独自の文化と生活様式が社会的に尊重されています。
現代文明の犠牲としての「少子化」
日本でいま少子化が叫ばれています。日本だけでなく、高度に文明化した先進国で同様の現象が起きています。
私見を述べるならば、根本的な解決策は、女性の働き方をもっとゆるやかにする、社会的に女性の立場を寛容的に認めることだと思います。社会設計をになう国会議員が男性だらけでは、子を育てるに適した制度設計は難しいのでは。
男女同権と呼ばれて久しいですが、しかし男女の性差は確実にあって、たとえばカメラマンなんかは男性ならばその辺の茂みで用を足せますが、女性はそうもいかない事情があります。
また、これは戦中の研究結果ですが、女性はやはり月のものがあって、その影響で仕事の能率はどうしてもその期間の前後は落ちてしまうとされています(片山杜秀『未完のファシズム』より)。
なにもこれは驚くことではなく、生物学的には至極納得のいくものでしょう。男女それぞれ特徴があるわけです。それを無理やり同質とすること自体に無理があるというものです。
また、働きながら育児というのは、そんな簡単なことじゃないですよね。祖父母が同居や近所に住んで育児協力できるならまだしも、現代は核家族化してしまっているから、以前のように頼りづらくなっている。これも大きな社会的損失だと思います。
せっかく育児経験のある祖父母の手も借りづらい現代社会の生活形態は、人間本来の生活様式を失っているように私には見えます。
そりゃ育児ノイローゼにもなりますよ。育児なんてみんな初めてで何もわからないのですから、経験ある祖父母に教わるのが最も理にかなっています。
そもそも人間が太古の昔より受け継がれてきた生活様式は、男は狩りに出て、女は育児などをになってきた以上、それがある意味で本来的な自然の摂理、性差からくる定石なのでしょう。
男はこうあるべき、女はこうあるべき、という意味ではなく、男性の特徴を生かせる役割、女性の特徴を生かせる役割があるという意味です。
もっとも、女性が望む生き方は人によってちがうと思います。
- バリキャリ
- 育児に専念
- 子を産まない
女性がこれらを主体的に選べるような社会が望ましいのではないでしょうか。個人差がある以上、政府が一律で女性の生き方をひとつに定めるべきではないと思うのです。
文明社会で「人間性」をとりもどす、その手段としてのFIRE
私はいま、個人事業主でもあり、投資家でもあり、主夫でもあります。夫婦の片方が家事や料理を担当できると、うまく回りますよ。余裕ができる。共働きだとどこかにしわ寄せが来てました。
FIREしたことで、そうした人間本来の生活様式を営みやすくなるのです。
- これだけ文明が進歩したのに、はたして人間は幸せになったのでしょうか?
- 文明が進歩するにつれて、人間性を失いつつあるのではないでしょうか?
現代人はそんな違和感をどこかで抱えつつ、もがいているのかもしれません。
私はやはり、
- 人間本来の生活様式
- 人間という社会的な動物としての人間性
そうしたものを取り戻すことが、現代で幸せに生きる本質的な一面であるように思えてなりません。