母「子どもは褒めて伸ばすのはアリ。しかしおとなを褒めてはいけない、努力を認めること」
私が今までの人生で心がけてきたことのひとつは、以下です。
- 人生の先輩である年長者の言うことに貪欲に耳を傾け、印象に残った言葉や教訓をその場でメモる
濃淡はあれど、生きた年数に応じて人生体験は相応に増えていくはずです。
したがって、「これは」と感じた言葉はメモをとり、自身の血肉として刻むようにしてきました。そうすることで、今までの人生における意思決定や行動に少なからず影響をおよぼしてきたように思います。
印象的な言葉
最近、こう言っていました。
母
今日、先輩と古文書の読み合わせをした。3ヶ月にしてはよく読めていてびっくりした。と。「前任の上司には『人(おとな)は褒めると駄目になる、そこで努力をやめてしまう』と言われていたから、あまり褒めるのもどうかとも思ったけど」と付け加えていた。
おとなになってから、やたら褒めてくれるひとには気をつけたほうがいい。
それと褒められることを心地よいと感じるのは子供時代まで。その後はいかに自分として満足できたか、であって人からの評価ではないよ。
そこに至るまでの努力を認めて貰うことはうれしい。出てきた結果を褒めることとは全く違う。
子供時代は褒めて伸ばすのはありだと思う。
おとなを褒めてはいけない。おとなには、努力を認めてあげることがいちばん。結果は関係ない。そんな気がするわ~
青字部分はもともと思っていたことですが、黒字部分がなるほどなぁと思いました。それぞれ以下に掘り下げて記します。
① もともと感じていて、共感したこと
青字部分「人からの評価ではなく、自分で満足できたかが大事」というのはもともと思っていました。
もしそうでないと、人の尺度で生きることになってしまい、軸がブレやすいうえに主体性のかけらもありません。他者の評価を基準に考えた時点で、一度きりの人生で後悔するは必定と思います。
② なるほどなぁ、と思ったこと
黒字部分「人(おとな)は褒めると駄目になる、そこで努力をやめてしまう。おとなになってから、やたら褒めてくる人には気をつけたほうがいい。おとなを褒めてはいけない。努力を認めることがいちばん。結果は関係ない」というのが、なるほどなぁと思いました。
黄色下線部、かなり思い当たるところがあります。というのも、私も今までの人生で、たとえば大学時代スキークラブの最初の合宿で、コーチに「今回の合宿で一番上達したのは穂高」と言われてもう満足してしまったのです。
私は今までこの手の事例が複数あります。今まで何をしてもだいたい上達が早く、加えてよい結果が早く出るので、褒められたり結果に満足し、熱が冷める傾向がみとめられます(すると、見方を変えれば器用貧乏になりやすい)。
これは一長一短かつ表裏一体なので、よいわるいの類ではないのですが、そういった面はあると思います。「過程より結果に重きを置いているからこそ、褒められたり結果が出ると熱が冷める」と整理できると思います(もちろん、過程より結果が大事な局面もあるでしょうから、ケースバイケースとは思います)。
自省しないといけないなぁと思いました。結果を褒めてもらいたがる傾向があるように思います。
たとえば最近、毛筆で文字を書く機会がありました。私は小学生の一時期お習字をしていたこともあり、25年のブランクがありながらそこそこ上手く書けた気がして、「字、めっちゃうまない?」と結果を評価してもらいたがっていた部分があったと思います。客観視のきっかけになりました。
まとめ
以下のようにまとめます。
- 『人(おとな)は褒めると駄目になる、そこで努力をやめてしまう』
- いかに自分として満足できたか、であって人からの評価ではない
- 子供を褒めて伸ばすのはありだと思う。でも大人に対しては努力を認めてあげること
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