宗教国家アメリカ「領土拡大は神から与えられた運命」
アメリカという国を「宗教」という側面から解きほぐしていくのは、非常に興味深いものがあります。
公務員の就任に「宣誓」あり
政教分離を標榜する米国は、実は最も宗教色の強い国であることが
『『宗教からアメリカ社会を知るための48章』で描かれています。
- 公務員の就任宣誓
- 紙幣や硬貨に「われわれは神を信じる」の明示
- 国旗への忠誠の誓い
など、一見政教分離に反することが、実際には現実として行われている、といった指摘があります。
そんな宗教的な色彩の濃い歴史と社会的な側面がみられるアメリカですが、領土拡大と宗教が密接に結びついていることが興味深いですね。
キリストの再臨を待望するクリスチャンは、福音を広める布教こそが再臨につながると信じている。したがって、国内のみならず海外での伝道の必要性を強く意識するようになる。
キリストの福音を知らない異教徒が死後その無智ゆえに地獄に堕ちるのはあまりに不幸と考え、布教するのは自分たちの愛でもある。
『宗教からアメリカ社会を知るための48章』より要約
上記にかんして以下どちらなのか(因果関係がどちらなのか)興味深いところです。
- 海外伝道(という名の領土拡大)を正当化するためにあるのか
- 本当に海外伝道の必要性を信じて領土的野心につながるのか
ところがどうやら後者であると。一例を挙げると、米西戦争を指揮したマッキンリー大統領は「アメリカは神によってえらばれた国であり、大統領たる自分は、神の意志をこの地上で果たすための道具である」と心から信じていたとされています。
こうした「キリスト教である自分は、神に選ばれた特別な存在である」という選民思想は、ややもすれば「自分は特別であり、異教徒、ひいては異国人や異人種は奴隷や奴隷に準じる存在でも問題ない」といった排他的な思想につながりかねないですね。実際にアメリカは「奴隷制度の存続 or 廃止で、国を二分した南北戦争」という歴史があるぐらいです。
マッキンリー大統領は、米西戦争で征服したフィリピンに対して
「われわれがフィリピン全島を統治し、フィリピン人を教育し、向上させ、文明化し、キリスト教化し、神の栄光によって彼らに対してできうる最善の努力をするしかなかった」
という結論に達しています。統治のためにこの世を去ったフィリピン人からすれば、とんでもない論理だと感じるでしょう。
歴史をふまえて、冷静に世界情勢を見る
戦後、ドラマや映画という形を通じたアメリカ文化の輸出によって、アメリカ=正義といったイメージがとくに一部の西側諸国では流布されやすいでしょう。
歴史に鑑みれば、それらの娯楽でさえも一種の戦略的意図の色彩を排除できず、あくまで主体的にそのような要素を念頭におきつつ見ておく必要があるのではないでしょうか。