経済発展によって宗教が盛り上がるという現象
最近アメリカの歴史を学んでいて興味深いことがあったので、その内容と感じたことを書き留めます。
19世紀に起きた「信仰復興」とは
アメリカでは過去に何回か信仰復興というものが起きています。信仰復興とはカンタンに言えば、
キリスト教信者
といった感じですね。
信仰復興の背景に、経済成長
そんな信仰復興。1850~1900年代に第三次信仰復興が起きており、その背景にアメリカの経済発展があるというのが興味深いんです。
農業中心の経済から工業化・商業化が進み、移民流入と都市化による農民の都市への流入があった当時は、物質的に繁栄した時代。
経済が急成長したことで、経済格差、腐敗、不正、道徳的堕落が発生した時代でもあった。
さらには人々の孤独や不安、心の癒しを求める動きが強まり、こうした精神的な需要に応じて信仰復興運動が起きた。
『宗教からアメリカ社会を知るための48章』より要約
- 経済成長によってひずみが生まれ、格差・腐敗・道徳的退廃が起こったというのはまさに現代に通じることではないでしょうか。
- さらに、「心の癒しを求める人々が増えたことで、信仰復興つまり布教の強化が呼応した」という点も見逃せないですね。
精神が退廃したときに宗教の存在感が増す
宗教って「(よくもわるくも)心のすきまを埋めようとする活動」と言えると思います。
なぜなら、身内の不幸があるときに宗教の勧誘はどこから聞きつけたのか突然やってきますし、自身が不幸なときというのは、精神的に弱り、意志力が薄弱になっているので、なにかにすがり、救いを求める傾向が人間にはあるからです。
そういう「心にすきまができた人」に対してこそ、布教の好機だということです。
「経済成長によって、逆に渇きを覚える」という逆説
みなが同程度に貧しい原始社会から経済が成長すると、みなが同じペースで豊かになるわけではないので、格差が生まれます。格差は不満の源泉になりますし、いったん物質的に豊かにもなれば、さらなる豊かさを求めたり、精神的な充足を求めるようになります。
そうして「経済が成長することで、逆に人間は渇きを覚える」という逆説的な帰結を生むことがあります。
「いったん得たものを手放したくない」という執着
「経済が成長することで、逆に人間は渇きを覚える」という帰結には、「いったん得たものを手放したくない」という人間心理も大いに関係しているでしょう。
生活レベルをいったん上げると下げることが苦痛になる、という話を聞いたことがあると思います。
ほかにもたとえば投資で、取り崩しが良案の1つとわかっていても配当株投資に一定の人気があるのは、すでにあるもの(たとえば株数)を減らしたくない心理が背景にあるでしょう。たとえ取り崩しを推奨していても、実際に当人が取り崩しているかは別の話です。
また、「使い切れない資産を持っていても、さらに資産を増やそうとする」という投資家に多くみられる行動も、「いったん得たものを手放したくない」という心理が深く関係しているでしょう。
まとめ
ということで以下のようにまとめられます。
- 経済成長で、逆に心にすきまが生まれた歴史。
そのすきまを埋める宗教活動が活発になった。 - 経済成長で、逆に孤独・不安・渇きを覚えるという歴史。
背景に、格差に対する不満や「得たものを手放したくない」という心理。
このようにまとめると、成長そのものを否定的にとらえているニュアンスに聞こえますが、このあたりは清濁混在するので一概に言えない部分がありますね。
「豊かになったはずなのに、逆に心の癒しを求めるようになった」という歴史が興味深いところです。歴史は現代に数多くの示唆をもたらします。時代が変わっても人間の脳構造や心理が変わらなければ、過去の例は現代にも再現されるということですね。
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