ブログをしてきて、思うこと
ブログをはじめて、もうすぐ7年になります。
当初は1記事目に記したように、「画一的な日本社会に一石を投じたい」「みずからの生き方を通して、こういう人生の選択肢もあることを示したい」といったものが原動力のひとつでした。
FIREという言葉の認知によって、その伝わり方にもよりますが、ある程度は達成されたように思います。
私自身も自分のやりたいことも増え、環境も変わりました。
そんななか、ブログをやってきて思うのは、「私がなにかを教えているというよりも、むしろ読者や反応いただく方々から物事を教わっている」ということです。
人々と接することによって、目の前に起こることが増えます。
- 目の前に起こったことに、どう反応したのか
- 目の前に起こったことに、どう感じたのか
- 目の前に起こったことに、なにができたのか
- 目の前に起こったことを、どう受け止めるのか
- あのとき、もう少し人としてこうあれたんじゃないか
人と接すると、自分を映す鏡にもなり、その実像を人々に教えていただけるように感じます。
自分は相手のことをたくさん知らないけど、相手は自分のことを知っている。
ブログやSNSをやっていて、そういった状況に不思議な感覚を覚える時もありました。
それって結局は自分にベクトル(意識)が向いているから、そう思うのかもしれないですね。他者にベクトルが向けば、自分がどうかという以前に他者のことを考えられる。
特に対面ではない場合、「言葉」をどう紡ぐのか、そしてそもそもなにがしたいのか、どうありたいのか、ということが大切になってくる。
自由を手にした環境からか、最近ちょっとそれを忘れかけていたことに、気が付いたように思います。
農業のことを記せば、読者に元農業技師の方がいらっしゃり、農業に関連する貴重な情報を教えてくださいました。
函館にいると記せば、函館にお住まいの方からおすすめの場所や史跡を教えてくださいました。
家庭菜園のことを記せば、困ったときの対策なども教えてくださいました。
本当にありがたいことです。そうやって、読者の方々に様々なことを教えていただいているのですよね。
ブログが、自分と相手をつなげれくれました。それにどう対峙するのかというのは、自分と相手、そしてひいては社会との関係の縮図にもなるように思います。
そして時に自分の未熟さや至らなさを示す羅針盤にもなり、人々に多くのことを教えていただける。
そして講演や書籍執筆など、目の前にご縁をいただいた活動に真剣に取り組むことで、すこしでもお役に立とうとすることで自分も恩返しをする。
ブログを続けてきて、そしていろいろな交流をさせていただいたなかで、そんなふうに感じています。
本当にありがたいことだと感じています。