もっと、もっと。と求めたくなる人間心理と答案
最近、見ていてあらためて思うのが、あくまで一般的な話として人間に見られる「もっと、もっと、と求めたくなる心理」というものでしょうか。
- お金を得ると、もっとほしいと願う人。
- 承認欲求が満たされれば、もっと満たされたいと願う人。
- 株価の上昇を享受すると、もっと上がってほしいと願う人。
人間の欲望というのは、一般的に尽きることがないわけですね。
当然といえば当然で、人間にはドーパミンという快楽物質をひとたび感じると、もう1度もとめたくなる機構になっているとされています。
快楽神経系と呼ばれる神経路のスイッチを入れるのがドーパミンで、ドーパミン受容体は多大な快感を受け続けると、次第に麻痺して減少。
SNSなんかも、この人間の受容機構を上手くとらえた設計になっています。人間の受容メカニズムが「潤滑剤」、いや、スマホ画面に人間を張り付ける「接着剤」になっているとさえ言えるかもしれません。
いったんフォロワー・いいね・拡散を得ると、脳はその味を覚えるからですね。ある種の承認欲求が満たされた経験がなければないほど、その面からはさらに求めやすくなるでしょう。
興味深いのは、人間は欲望にまみれてしまうと、「霞を得ようともがきやすい」というのが世の常かもしれません。
ただし逆に言えば、そういった人間の「もっと、もっと。と求める機構」があるからこそ、資本主義は成長の機会を得て、市場原理が働いたという面もあると思います。問題は、その機構が「どの程度で止まるのか、どの程度で満足するのか」ということですね。
ほどほどで満足するほど、多くを得られることも
個人的にこの問いに対しては「求めすぎない」「人生で何を優先させるのかを明確にする」というのが1つの答えです。その方が結果的に追加的に得られるものも多いと感じています。
最近思うのは、以前から述べていた欲求面に加えて、投資についても「ほどほどでよいと考えているときほど追加的に得られる」ことが多い気がします。
ほどほどでよいと思っている、または多くを望んでいない状態の場合、気持ちに余裕ができることも一因になってきそうです。求めすぎると功を焦りやすかったりリスク過大になる部分もあるでしょう。もちろん、マーケットの状況も関係してきますし、結果を構成する要素は複合的です。
デジタル機器も、お金も、欲求も、個々人にとって適切な塩梅で接することが肝要と思います。でないと、FIREしてもなにをしても常になにかに追われ、なにかと競い、なにかを追いかけることになりかねないかもしれません。一般論として。
究極的には「人生いろいろ」という言葉に集約されそうです。
Best wishes to everyone.