早いものでセミリタイアして、もう約1年です。
拙著にも記載の通り、今のところ、毎日を悔いなく過ごせています。
セミリタイアを目指した背景の1つに、以前も記載の通り「自分が実際にセミリタイアをしてどのような心境や状況になるのか、自分で実際に確認してみたかった」ということもあります。
では今現在どうなのか、それを以下の切り口で観測します。
- セミリタイアして得たもの
- セミリタイアして失ったもの
失ったもの、なんでしょうね(笑)
セミリタイアして得たもの
一応以下の通り、セミリタイアの語義を改めて紹介しておきます。
愛用する英英辞典「オックスフォード」と双璧をなす「ロングマン現代英英辞典」の原義。
「someone who is semi-retired continues to work, but not for as many hours as they used to, especially because they are getting older and want time to do other things」
「引続き働きはするけれども、かつてほど長い時間働くのではなく、特に加齢や他のことをする時間が欲しいことに起因」とこういうことになります。
私の場合、セミリタイアが「何もしない」ことを意味するのではなく、「加齢(若年期というかけがえのない時間)」と「他のことをする時間が欲し」くて、更に引続き「なにかしらやる」ということで、奇しくも原義と符合します。
さて、以下得たものと、失ったものです。
①自由な時間
第一義的には、やはり時間です。
そのためにセミリタイアしましたし、それこそ求めていたものです。
差し支えないところでいえば、
- 自分で時間管理を主体的に行うことができ、
- 「明日ここ探訪したいな」と思えばそこへ赴き、
- 「今日はこれを追求したいな」と思えばそれをする、
- 国を問わず友人と面白いことをする(コロナで中断中)、
等といった思い描いていた通りの生活が体現できています。
ただ、思ってたよりは、なんやかんやで時間ないです(笑)。仮に需要という解釈をすれば、有難いことです。
②選択肢
セミリタイアしてから、選択肢をほぼ必ず複数持つことができ、主体的な意思決定ができています。
- 住む場所
- 行く場所
- やること
- スケジュール管理
- 目標までどのような時間軸で進捗させるか
これらを主体的に、迅速に、決めることができます。
現在は従業員ではなく事業主です。取り組む活動の多くは、期限があり、それに合わせて「この日は休むも良し」、「この日は1日中取り組むも良し」、自分で決めることができます。
どこでやるも、いつやるも、どのようにやるも、期限さえ守れば自由度があります。
基本的に自分にプレッシャーをかけて、ノルマを毎日設定し、遂行していくタイプなので、自由が幅を利かせすぎて逆に自律できないということが今のところ見当たらないのは良い兆候と思います。
そのため、選択肢があるという自由が、悪く作用することが今までのところは認められません。
選択肢が増えるということは、良い面と悪い面、両面あると思いますが、その良い面を享受できていると感じます。
③心の安寧
ストレスが極端に減りました。
人によると思いますが、私はやっぱり、ありとあらゆる制約というものがストレスの95%ぐらい占めていたのかもしれません。
セミリタイアによって、心の平穏を得られました。
次の感謝へと繋がります。
④感謝
セミリタイアしてからというもの、毎日感謝しています。
なにに感謝しているのでしょうか。なにか1つの特定の事象に感謝するというよりかは、1つ1つのこと、生活を織り成す1つ1つのことに対して感謝するという感じです。
私が望む生活を送れているのは、自分だけの力でなく、応援してくれた友人や家族などがあってこそです。純民間以外でも、法曹など多様な業界に尊敬できる友人がいること自体にも感謝です。
自分がずっと思い描いていた、その通りの生活を送れている気がします。
自分のしたいことができる、大きな制約がない、その日することをある程度は取捨選択できる、今後長期的に取り組みたいことを自分で取捨選択できる、ブログを通して色々な方と交流できる、好きな時に旅に出る、家族と過ごせる、美味しいごはんが食べられる、素敵な友人に囲まれている、階段を上れる、
その1つ1つが、とっても有難く感じています。
⑤ゆとり
③に近いですが、もう少し具体的なものです。
- 物事の良い面を見よう
こういう文言はよく目に耳に、すると思います。私もその通りだと思います。
しかし正直なところ、セミリタイア以前の「余裕やゆとりがなかった時期」には、頭ではわかっていながらも、「物事の良い面を見よう」を体現する余裕は、今より限定的でした。
今は、「ゆとりや余裕が、それを実現させている」。そんな気がしています。
以前にも増して、周囲の成功は、心から自分のことのように、うれしく感じます。素直に心からおめでとうと思います。
セミリタイアして失ったもの
階段です。
セミリタイアしてから、以前よりも階段を失いました。
以前は特定の場所に通っていたので、毎日出社・昼休み・退社などでどれだけ少なく見積もっても毎日40階分は移動していました。
セミリタイア後は、登山する日は登りまくりますが、そうでない日は40階分も階段上りません。
よって、足の筋肉に対する継続的な刺激という意味では、もしかするとセミリタイア前の方が負荷がかかっていたかもしれません。今は登山でそれを補っている形でしょうか。
今のところは階段以外思い当たらないです。
自分との対話を重ねた結果、得た答えなので、思い当たらずとも当然だと思います。
まとめ
まとめるならば、セミリタイアをすると、「リソースを自分の割きたい対象に割くことが出来る度合いが確実に上がる」と思います。
それが一番大きいと思います。時間や体力は有限です。その有限のリソースを、割きたい対象に割けるというのは、人生においてこの上ない幸せだと思います。
不毛なことに一切の意思力を割く必要がないのです。自分の信条に沿って歩むことに集中できます。これは大きい。
逆に言うと、「自分がリソースを割きたい対象」がもしなければ、わざわざセミリタイアをする必要はない、という論を導出することも可能です。
あなたがリソースを割きたい対象は、なんでしょうか。
そして、それはセミリタイアしないと達成できないことでしょうか。
この考えを念頭に置くことが、セミリタイアを含めた生き方を深く考える端緒にもなると思います。
ご参考になれば幸いです。
Best wishes to everyone!