今回の宮迫さん等の芸人と吉本興業の件を見ても、組織に依存するのはやはり避けたい。いつでも自分の足に依って立てるようにしておくこと、そのために収入源は複数持っておくこと、可能な限り経済的自由度を若年期から高めるのを意識することが肝要。他でもない自分の人生を組織に委ねぬために。
— 穂高 唯希|新刊 #シンFIRE論 (@FREETONSHA) July 20, 2019
今回の宮迫さん等の芸人と吉本興業の件を見ても、組織に依存するのはやはり避けたい。
いつでも自分の足に依って立てるようにしておくこと、そのために収入源は複数持っておくこと、可能な限り経済的自由度を若年期から高めるのを意識することが肝要。
他でもない自分の人生を組織に委ねぬために。
組織に自分の人生を一定程度委ねるということは何を意味するか
組織の合理性を語る上で、象徴的な映画「リミット」
今回の吉本興業の件について、内容は一旦脇に置き、組織の反応という点にフォーカスすると、やはり自分の人生を組織に委ねることは避けたいと改めて思いました。
「リミット」っていう映画、ご存知でしょうか。この映画は象徴的です。
- 米国のトラック輸送会社に勤務する主人公は、会社の辞令でイラクでの民間輸送事業に従事
- イラクは米国の派兵地。一部反米感情あり。
- そこで民間人である主人公はテロ集団に拉致され、棺の中に入れられたまま埋められる絶体絶命の事態。
- 棺の中にある携帯を駆使し、会社の緊急連絡先や国防省に連絡をして、脱出・救命を図る。
- しかし、会社側は社員1名の命よりも、企業としての責任を逃れることを重視。
- 人事部長は社員の命など二の次で、「今から言うことの録音を許可しますか?」と機械的な口上を述べたのち、会社にとって責任がない方向へ誘導する質問。
- その回答を録音することで、責任範囲ではなくなったことを社員と一方的に確認し、社員との電話を切る。バッドエンド。
組織のトップは当然、組織が第一義
これって企業としては一定の合理性があって、事実、今まであってきた類の事象と思うんですよね。
カネカの「育休取得の男性社員に対する仕打ち」のような事象も、多かれ少なかれ他の企業でもあってきたのだと推察します。実際にそう思う部分はあります。
私は今まで海外勤務や出向も経験しましたが、組織の長とは、
- いかに限られたリソース(社員数・労働力)を有効に使い
- いかに業績を向上させ
- いかに認めてもらうか
本人の経営哲学による程度の差はあれど、このあたりがやはり組織の長にとっての「至上命題」になってくる側面が見られます。
そして組織をリスクにさらすことを嫌います。そりゃそうです。
そして、それは組織にとっては好ましい人材とも言えます。組織のために尽くしてくれるのですから。ある意味、詮なきことかもしれません。
しかし従業員からすると、これはややしんどいものがあります。
まさにマルクスの「休日は労働力の再生産のため、労働者に与えられているもの」と言わんばかり。
- 吉本興業
- 映画「リミット」
- 組織というモノ、
これらは1本の幹として共通しています。「組織は組織の都合で動く」ということです。理解できます。
いちいち一個人の嗜好や希望に沿っていたら、組織として成り立たないですから、現実的ではありません。
組織というのは、そもそもそういった色彩を一定以上帯びたものと客観的に解釈する方が現実的です。
経済学的に言えば、「ある集団の効用を最大化すべく」動くのが本来の組織でしょう。
ですから、そもそも組織自体を否定することや文句を言うのは、あまり生産的かつ建設的とは言い難いのです。
組織ではなく、自分という個人の足に如何に依って立つのか
ですから、冒頭にも述べた通り、「自分という個人の足に如何に依って立つのか」という部分に注力した方が建設的と思います。
「自分という個人の足に如何に依って立つのか」というのは、要すれば、
- 石器時代では「自分の体力や武器の使い方や狩りの技術を極める」ことになるでしょうし、
- 貨幣制度が成立した現代では「経済的自由度を高めること」になるでしょう。
「自分という個人の足に如何に依って立つのか」というのは、私がサラリーマンになってから、ずっと注力してきたことです。
そして同様にそのような志向を持つ方々を応援させて頂きたいですし、ブログでそのような方々向けにこうして発信してきました。
なぜなら、同期や後輩を見ていて、あまりにも多くの人が疲弊していたからです。目をキラキラさせ、夢を持って入舎した新入社員が、なぜこうなるのか。
以前「会社を辞めたい人から人生相談を受ける」という記事を書きましたが、消耗しきっている人が社内に結構いたのです。これは労使双方にとって悲しいことです。
入社するということは、一応就職活動という行事で、百倍以上の倍率を潜り抜けた人たちですから、世間の人々が言うところの”優秀”なのでしょう。
(この”優秀”という言葉は何を以て優秀なのか非常に曖昧かつ、多分に個人の主観を相手に押し付け得る色彩のある言葉であまり私自身使いたくないのですが)
その彼ら・彼女らが消耗していく姿を見て、「なんとかならないものか」と思いました。もっと輝けるのに、お互い不幸かなと。
だからこそ社内で金融機関の方を呼んでセミナーを企画したりもしました。消耗する彼ら・彼女らに、投資という人生の選択肢の幅を増やすツールを、もっと利用してほしいと思ったからです。
今後も個人の足に依って立つ際に資するであろうものを、発信したいと思います。
個人としての人生の選択肢を広げるべく、共に頑張りましょう。
Best wishes to everyone!