人とモノの断捨離と、経済的自由の関係性
「断捨離」と「経済的自由」というこの2つの事象。
一見、関連性のなさそうな両者かもしれませんが、密接に関係しています。
まず断捨離には以下の通り多数のメリットがあります。
断捨離のメリット
- 物を減らすことで探し物をする労力、煩雑さ、所要時間が低下
- 「実は人間的な生活をする際に、そんなにモノが必要ではない」ことに気づける
- スペースが空くため、広い家を借りたり買う必要もあまりないことに気づける
- 前頭葉の活動領域が確保されることで、発想・アイデアが活発になる
モノが豊かな日本に生まれたからかもしれませんが、多くの方々は結構モノを持ちすぎではないでしょうか。
「別に必須ではないけれど、あったら便利なもの」という意外に厄介なモノが多いと感じています。
- 「あったら便利やし、一応置いとこう」
- 「これ便利でいつか使いそうやし、ここ入れとこう」
とかしてると、少なくとも私の場合は高確率でそのまま使わずに埋もれてたことばっかりです。
「別に必須ではないけれど、あったら便利なもの」というのは、行き過ぎた物質主義、経済効率の追求、GDP至上主義が産んだ副産物かもしれません。
ブルーライト用目薬という副産物
ブルーライトによる目の疲れ用目薬。ブルーライトがない時代はそもそも必要のなかった代物です。
でもこれが生産され、売れればそれだけGDPという付加価値の総額は押し上げられ、企業は儲かり、経済指標上は付加価値が生まれたことになります。
ブルーライト用目薬というのは、新たなモノの登場により、ある弊害が新たに生まれ、それを治すために生まれたという意味では、本来なくても問題なかった、或いは必要なかったものですので、現代を象徴する商品だと思います。
- 本も読んでいないものは順次読んで行き、不要なものは売る。
- 衣服は本当に必要なものだけを見極める必要があります。直近1年間で着ていなかったものはこの先もどうせ着ないから処分する。
このようにかたっぱしから整理していくことにしています。
自分に本当に必要としているものを見極めることは全てに繋がる
自分に本当に価値のある、必要なものは何なのか、それは人間関係であっても、身の回りであっても、見極めることは大事だと思います。
特に人間関係における断捨離というのは、経済的自由を達成するにあたり必要不可欠な行動です。
自分にとって重要でない人間関係とは
この最たる例は、人にもよりますが、会社の同僚との飲み会、という人もいらっしゃるでしょう。
(※もちろん、その会社で生涯を過ごしたり、出世欲があるなら、とことん飲み会に参加して、社内政治なり人間関係の構築なりに精を出した方が良さそうですね)
- 「会社の誰が結婚した」
- 「こんな発言をしていた」
- 「誰々の悪口を聞いた」
- 「彼はこんな週末を送っているらしい」
- 「彼は仕事ができて彼は仕事ができない」
- 「あの人そろそろハゲそう」
こういった話題が多かったり、ほとんどが他人に対する論評や悪口・会社の愚痴だったりする飲み会は、発展性が感じられなければ、そういうものはバッサリ断るのも一案です。
こういった飲み会も断捨離することで
- 飲み会にかかる費用
- 飲み会に要する時間
を削ぎ落とすことができます。
でも、何事もやりすぎるのはあまり好ましくはなく、バランスも大事ですね。
いずれにしても断捨離するということは、ひとつひとつの事象に対して、真正面から向き合い、取捨選択を行い、取捨選択をするにあたって根源的な問いかけを自分自身にすることになりますから、自分にとって本当に必要なものが逆に見えてきます。ぜひやってみてください。
不要不急の出費を続けていると、経済的自由はその分遠のきますし、考え方は行動に波及するので、消費支出行動だけでなく、経済合理性に劣る行為にも繋がります。
でもでも、経済合理性のないことをしてみるのも、とっても大事だし、それはなんら否定されるものでもないです。
Best wishes to everyone!
経済的自由を達成して感じたこと。自由の定義は際限がなく、逆に不自由になったら本末転倒。何事もバランス。
シンプルさを追求することは自分にとって不要なものをそぎ落とす良いプロセスだと思います。
コメント
バランス大事ですよね、経済的自由を達成するにも当面は会社にいないと行けないので、その時間があまりに不快な時間にならないよう、時々は飲み会に参加するようにしています。