特別な才は必要なのか。10年毎日書いて感じた、副業を「主業」に変えるもの

「副業するにしても、私に語れるものや発信できることがあるだろうか..」
先日、かような趣旨を吐露する読者がおられました。
私が申し上げられることがあるならば、以下かと思います。
- 特別な才能や経歴は必要ない
- 何が人に刺さるかは、やってみないとわからない
- 私もパソコンに向かうまで、書くことは思い浮かんでいない
特別な才能や経歴は必要ない
そのかたは自称「検索魔」(このワードがまず面白いですよね)。いろんなことを調べる性分だそうで、「どの分野でも自分よりすごい人がいる」と。
でもそれは私も同じです。私より運用手腕に優れた人、資産額が多い人もいれば、経歴が華やかな人もいます。
でもそれってあんまり関係ないように思います。自分は唯一無二の自分。自分という土俵がすでに築かれています。この点を意識する。
たとえばこのかたはすでに「検索魔」というクセあり。どなたにもあるであろうクセをありのまま表現するも一手。たとえば「どう調べて、どう感じたか」という過程に、独自の内容(クセ)があるかもしれません。
なお、最も肝となる適性は「継続できるか」、これに尽きると思います。
何が人に刺さるかは、やってみないとわからない
私がなぜブログを始めたかと言えば、
- 留学を終え、日本のここを変えたらもっとええのに、と感じる点など多々あり、就活や就職でその思いが極致に達した
- 読者からの感想を得るうちに、サラリーマンのなかにも私のような(自由をめざして投資に励む、サラリーマンのストレスをなんとかして昇華させる)人がいると示すことに意義を感じた
- 当時は米国株投資や株式投資が一般的ではなく、発信する意義を感じた
と、いわばもっともらしい理由を思い出して挙げれば以上のようになりますが、大きな要素として、何気に「鬱屈としたものがあった」と記憶しています。
きっかけは負の感情だろうが何だろうがよいと思います。いつも言っていますが、「負の感情は強力なエネルギーを秘めているので、いかに正の行動や感情に昇華できるかで人生は一変する」と思います。
継続するうちに、SNSで徐々にメンションが増えたり、読者が周囲にも勧めてくださったことで、現況に至りました。
今でも何が人に刺さるかわからないです。読者から「あ、その記事だったとは」と思うことばかりです。人によって千差万別ということですね。
つまり、発信を「社会的な需要に自分を合わせる作業」とせずとも、「内実を率直に放出し、結果として世界と繋がる自己主権」と位置づけてもよいと思います。
PCに向かうまで、書くことは思い浮かんでいない

だいたい毎回、パソコンに向かってブログページを開けるまで、何を書くか決まっていません。
本記事も、「そういえば」と直前に着想を得た形。毎日書くことが習慣化すると、脳の回路が「文章を書く仕様」になっていくのかもしれません。
あとは日々、「あ、これは何か書くことあるな」と思ったことはすぐメモしておきます。メモ魔。

「だれしも当人にしかない経験やクセがあって、ありのまま表現する、継続する。そのうちに副業どころか主業にすらなる可能性がある」と言えようかと思います。
もちろん、自己開示に抵抗がある人もいると思います。しかし「自分が何者か」をまず語らねば、「この人にこれを聞きたい」という社会的な需要は生まれにくいはずです。
数十年後にはみな身罷るわけですから、そう考えると自己開示も気負わずともよい気になるかもしれません笑
一例として、ブログをやってきて本当によかったと思います。収入という現実的な理由を排しはしませんが、なにより、ブログをやっていなければ紡がれなかったご縁が少なからずあってきたからです。これは間違いなく人生を豊かにしています。
ブログが紡いだご縁は、尋常ならざるものです。なぜなら内心を率直に吐露しているので、結果的に共鳴・共振する方々が集まります。
就活と同様。偽りの自分でいると、結局相性の良い企業と結ばれません。
ただし、短期的に得られるものというより、投資と同じで長期にわたることで複利のように効いてくる類のものかと思います。納豆菌のようにじっくり醸成されることで、結果的に高質な縁が紡がれる。
何か考えるきっかけやヒントになれば、光栄です。
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