退職は「自分との対話」であり、未来の自分を信じる行為

今回は「退職についての心構え」について、以下ご相談メールをいただきました。
題名: 退職についての心構えについて
メッセージ本文:
はじめまして。いつもブログ拝読しています。
(中略)
四十代半ばの中小企業の会社員です。
会社に退職を伝える時の心構え、アドバイスはありますでしょうか?教えていただきたくメールをしております。
突然ですが、FIREに失敗をしました。
ただ、そもそもFIREしておらず退職に失敗したのです。退職がこんなにも難しいとは思っていませんでした。
私が勤めている会社は、去るものは追わずだったからです。
長くなりますが、
コロナ禍初期から日本の個別株投資を始め、仕事を辞めて数年休んでゆっくり自分の時間を過ごしたり、親の通院の付き添いなどをしようと思えるくらいの金融資産と配当金(税引き後約240万円ほど/年)を積み増すことができたと思えたため今年の8月に会社に退職を申し出たところ、パート勤務を打診されました。
私が欲深いために、パートで少し現金収入があれば有り難いと思い、週3日のパートでよければと伝え、受けることにしました。その話し合いの場で、会社のトップから親の付き添いのためなら、有給すべて消化して、足りない分は欠勤しても構わないから、正社員のままでどう?と言われ、しばらく沈黙が続き、その空気に耐えられず正社員を続けると言ってしまいました。
ただ会社に伝えた退職理由は、親の付き添いですが、人間関係や管理職になり細かい仕事の増加などもに疲れたこともあり、辞めるという結論を出したのにもかかわらず、最後の最後で主体的になれませんでした。
また同僚が会社に私が辞めずに仕事を続けられるようにわざわざ会社に提案書を出してくれたことにも感謝してしまい決断が鈍りました。
結果、今も勤務しているのですが沈黙に負けて正社員を選んだことを後悔しています。根本的な問題は全く解決されていないからです。また今年は昨年より売り上げも悪く、トップのパワハラ気味の発言で会社の雰囲気も悪くなる一方です。自ら動いて改善する気も起きません。。。(パワハラに対抗しようとしている同じチームの後輩が頼もしいです。)
そこでやはり退職しかないと思い、少し時間をあけて、1年〜1年半後、再度挑戦します。そこで、冒頭の質問になります。
お金の相談会やご旅行などで飛び回り、ご多用のことと存じますが、お時間あるときに教えていただければ励みになります。
FIRE達成のお便りを穂高さんのブログに載せていただくことも目標に働く予定です。ここは気持ちを切り替えて、種銭と歯の矯正費用を稼ぐため!と考えています。
長文で申し訳ありません。
いつもブログを昼休みの楽しみにしています。株式投資やFIRE関連はもちろんのこと、私は通勤に○○駅を使っているので、出てくる記事も嬉しいです!また、ご家族についての記事も大切にされている気持ちが溢れていて、人生こうありたい、と感じています。
最後に、これからもご活躍、人生の謳歌を応援しております。
それでは失礼いたします。
こちらこそいつもご覧いただきありがとうございます。退職は生活・環境が変わる分岐点、ひいてはのちの人格にさえ影響しうることでしょうから、大きな決断ですよね。
退職は「制度的」というより「心理的」な山
退職というのは、会社を辞めるという単なる制度上の手続きというより、「自分で自分の人生の舵を握り、方向性を決める」という精神的な儀式でもあるかと思います。
「お金が貯まったら辞められる」と思う人もいるかもしれませんが、実際に壁になるのは心のブレーキというケースもありますものね。
周囲の好意、組織への感謝、沈黙の圧力――。
いい人もいるし、お世話になったし、このタイミングで辞めると迷惑かかるかも――。
これらは「経済」ではなく「感情」が生む拘束力ですから。
沈黙に負けたのか、“人間らしさ”に負けたのか
親の付き添いのためなら、有給すべて消化して、足りない分は欠勤しても構わないから、正社員のままでどう?と言われて、その後しばらく沈黙が続き、その空気に耐えられず正社員を続けると言ってしまいました。
その瞬間、罪悪感を覚えたのかもしれませんが、「自分の都合よりも他者の期待を優先する」という心優しさがなせる業でしょうか。
誰かの厚意や期待を前にすると、“優しさ”の方向に傾きますものね。人間が社会的な動物である以上、それは本能的な「関係を守ろうとする反応」でもあるのだと思います。
人間としてある種自然な反応であり、温かさの裏返しでもありましょうか。退職とは逆説的に「冷たい決断」ではなく、温かい心との折り合いなのかもしれません。
退職に際しての「納得」
さて、準備段階で大切なのは、「やめた後に何を信じるか」だと思います。
- 経済的自立(資産・配当)=外的安定
- 精神的自立(決断・後悔を引き取る覚悟)=内的安定
“退職を決意する日”は、突然やってくることがあります。知人の幾人かは、「兆候はあったが急に確信した」と言います。
それは資産額や利回りの問題というより、心が「もう充分頑張った」と納得した時、自然と決意が固まるはずです。私もそうでした。
その時こそ、経済的にも精神的にも準備が整った合図ではないでしょうか。
あとは、「会社でほかにやり残したことがないか」ですよね。あると引きずるかもしれません。なければ後顧の憂いは消えます。
私の場合は、会社の全体像や文化がある程度見えたと思えたか、「会社組織とは海外支社も含めてこういう感じか」とある程度思えたか、国内外の駐在や出向などを経験できたか、などが尺度でした。
退職とは、未来の自分を信じる“信仰行為”
退職の先に待ち受ける未知なる不安や希望。これらを抱えながらも一歩踏み出す姿勢そのものが自由と主体性への一歩。
だからこそ、今回の「一度は引き返した」という経験も、次の挑戦で納得いく退職への布石となったのではないでしょうか。
一度自責の念に駆られながらも、再び挑もうとしている時点で、人生の主導権を取り戻していると勝手ながら拝察します。
次の一歩は、前よりも確かで、これまでよりも軽やかでありますように。
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退職後の手続きです(数年前の記事ながら、昨今3月付で退職された読者から補足いただいた点を反映させています)。