読者から「FIRE達成」のご報告と、感じたこと
以前、「お金の相談会」最初期にご応募いただいたかたから、FIRE達成のおたよりをいただきました(個人情報の観点から、一部は伏せています)。いわゆる社会的地位の高いかたです。
穂高さん、
大変ご無沙汰しております。以前「お金の相談会」のごく初期にお話しのお時間を
頂戴した○○でございます。
その後もブログやXで、穂高さんのはつらつぶりを、いちファンとして楽しく眺めております^^
さて、そんな私ですが、今月をもって会社を退職し、今日からFIRE生活に移行しました。40代後半での転身ですので、穂高さんのスピードには及ばないものの、働いてきた会社の中では「異端児」的な扱いを受けております(笑)
穂高さんとお話しさせていただいた後も、多くの人との出会いや交流があり、また好調な相場の後押しも受けて、最後の踏ん切りがつきました。この決断に向けた土台形成の中で、穂高さんとお話しできたことも、私にとっては本当に大事なピースでした。あらためてお礼申し上げます!
JTC勤務、ペーパーアセットオンリー(レバレッジを活用したハードアセットは組み合わせなかった)でのFIREの事例ということで、後に続くことを目指している方たちに対しても、また何か力になれたらな、と思っています。
それにしても今回の退職にあたり、「これからの予定は決まっているんですか?」という周囲からの定番の質問に対して、「いや、このあと2つほど国内旅行の予定はあるけど、長期のものとかはこれから考える予定だよ」というと、知り合い・同僚・上司が判を押したように「キョトン」という表情をするのが印象深かったです。
私が旅好きであることは、近しい人にとっては共通認識となっているのですが、それがゆえ「早速、東南アジアを3か月くらい掛けて回る予定にしている」とか、「中国の西方をゆっくり探訪したくて、チケットは買ってある」みたいな答えが即答で返ってくるような期待をしていたようなのです。
こういったことを計画し、実行するための時間の自由を、今回ようやく手に入れた(入れる)のだ、という私の認識に対して、周囲は「えっ、何か具体的なプランが固まっているわけでもないのに、先にもう退職を決めちゃうの?思い切りすぎじゃない?」みたいな認識だったようで、思わぬギャップを感じられたことが個人的には印象的でした。
すいません、とりとめもない話で長くなってしまいました。穂高さんはちょうどいま、幼子の成長していく姿を見つめながら、大変ながらも充実した日々をお過ごしのことと存じます。
引き続きお体に気を付けられて、素晴らしい日々を積み重ねていってください!いつかお会いできることも期待しております。
それではいつぞやの感謝をこめて、近況報告でございました。
このたびはまことにおめでとうございます。このようなメッセージをいただき、うれしく光栄に思います。
お記しのように、私も最近あらためて感じたのですが、JTC(典型的な日本企業)という組織を構成する人と、個人事業をしている人では、(もちろん良し悪しという意味ではなく)考え方や目線はやはり変わってくるのだと思います。
上記黄色下線部は象徴的と言いますか、いわゆる「目的的」な人にみられる傾向があるかと思います。目的的とは、「特定の目標への到達に向かって行動すること」です。
(ここから、いただいたお便りから着想を得たので、自由に話を展開しますことご容赦ください)
以前「お金の相談会」にご応募いただいたインフルエンサーにも回答したのですが、資本主義社会では無意識に目的的であることを刷り込まれがちかとは思います。
資本主義社会とは、生産性、能率、経済成長―――といった言葉が躍るとおり、根源的に言えば「資本の効率的な向上が是とされる社会制度」といった面はありますよね。
すると、人々を効率的に動かし、資源配分を最適化し、資本や利潤を最大化させる力学がはたらくことになります。その手段として、労働者が目的的であるほうが都合や能率はよくなりますね(例:企業に毎年ある目標設定→人事考課)。
ただ、それが個人の幸福に資するかは別かと思います。なぜなら、目的的(特定の目標への到達に向かって行動すること)であると「目標へ到達するとモチベーションが失われやすく、目標→達成のサイクルにキリがない」という側面があるからです。
私はFIREしてから「次々と目標を立て、到達するために行動する」という様式は意図的にやめました。それはまるで、FIREしてもなお別のラットレースにはまっているように感じたのです。人生でいくつも目標は達成してきたので、もうじゅうぶんだというのもあると思います。自然に心から湧き上がる目標なら、意欲も保たれます。
FIRE後に大事にしているのは「素直な気持ち」です。やりたいこと、好きなこと、興味があること。これらをとことん追求する。つまり目的的ではないのです。時には障壁もありますが、「そうしてきてよかった」という実感があります。もちろん人によるのでしょうけども。
メッセージを拝見しますと、周囲との差異をすでに客観的にご認識のこととお見受けします。如才なきことながら、そのようなかたは主体的に次なる人生を独立独歩で歩まれる傾向があるように推察します。
あらためて、FIRE達成おめでとうございます。ご報告ありがとうございました。
なお、本記事について以下ご返答も追加でいただきましたので併記させていただきます。
(前略)
「目的的」というのは、まさに今の社会(特に日本)を表現するうえで、ご指摘の通りだと思っていて、そういう状態を
- 当たり前
- (ややもすると)心地よい
と考える人間が多数であるのは、日本の教育の帰結(いわゆるソルジャー養成)なんだろうな、と考えています。かなり似通った価値観を、ここまで植えつけられているわけですから、
ある意味ではスゴいことだと思います。
あとはこういうある種の優秀な労働者がいるわけですから、為政者なり、経営者なり、起業家なり(だけ)は、目的的ではなく、想像力や自由な発想、課題・問題の本質を捉える感性を大事に磨いていってほしいと思っています。この観点では正直、アメリカやアジア諸国がうらやましいです。
私自身は運用ポートフォリオの中で日本株(個別含む)の比率が低くないですが、今後も安心して国内株を一定数持ち続けていくためにも、優秀なソルジャーの選抜戦に会社の中で勝ち抜いた人たち(往々にして社外取まで、そういうバックグラウンド)だけで経営をまわすのではなく、「目的的ではない感性を持った人たち」をうまく経営に組み込んで、新しい価値提供や社会課題の画期的な解決ができるような、キラキラした日本企業が増えていく世界線になってもらいたいと思っています。
すいません、穂高さんにメールを書いていると、つい長くなってしまうクセが、今回も発動してしまいました^^
本記事の掲載ももちろんですが、穂高さんのブログ記事を今後も日々、楽しく愛読できることを心より楽しみにしております!
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