硬球が飛んできた時に、何になれるか

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硬球が飛んできた時に、何になれるか

親と、そして友人と話していて、感じたことです。

硬いトゲのあるものが飛んできた時に、やわらかく包めるクッションにならなければ(★)

そんなふうに思いました。硬いものが来た時に、おなじように硬くなってしまうと、やはり衝突が生まれます。そこはやわらかくあらねばならない。

もちろんケースバイケースであり、各論は千差万別ながら、総論や心構えとしては(★)のようにあらねばと思います。

私は現在、個人事業主であり、自由に主体的に意思決定ができる環境をつくりあげることができました。

そのことに対して自負もありますし、たいへん満足しています。しかしひとつ気をつけなければいけないと思うのは、自由だからこそ高慢になってはいけないのだと、定期的に自身に忠告したほうがよい気がするのです。

甘言への処し方

この稼業をしていますと、定期的にお褒めの言葉に預かります。ちやほやされることもあります。

しかしそこで思い出すのは、侍ジャパンの代表監督であった栗山英樹さんの「優勝して、どこへ行っても賞賛を浴びる。こうやって人はダメになっていくんだなと思いました」という言葉です。

本当にそのとおりだと、当時思いました。

正しいことが大事なのではない

もうひとつ。最近読んだ本で、「正しいことを優先すると、人生は実り多いものにならない。ひとの思いに寄り添う生き方がよいのでは?」というような内容がありました。

正しいことが大事というわけではないと、私も思います。

まとめ

  1. 硬いものが飛んできた時に、包み込むクッションになれるか
  2. 賞賛への処し方
  3. 正しいことが大事なのではない

この3つを訓示としたいと思います。

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