育児を通して学べること

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育児を通して学べること

これは私自身で気づいたことではなく、言われたことなのですが、育児をしはじめて少し変わったそうです。

客観的な意見

以前も記しましたが最近も「寛容になった」と言われました。

たとえばブログを書いていても、ゲームをしていても、赤子が泣いていれば手を止めてそちらへ行く。

つまりそれは自分より他者を優先することであり、小さいことかもしれませんが、その積み重ねによって行動原理に変化が生じるのかもしれません。

話が通じない、言うことを聞かない――。

それが幼児という生きものであり、その生きものと対峙することは確かに私の人生ではじめてのことかもしれません。

なんなら今まで接してきた友人は、1言ったら10わかるような人たちばかりかもしれません。

言葉を解さぬ赤子と接するのは、ただ眼前の人間そのものを受容することであり、「なんで言うことわからへんねん」と赤子に怒ってもむろん意味を成さず、怒る発想すら生まれません。

もしかすると、それが自分への小さな訓練になるのかもしれません。

自己認識

ただし、正直冒頭のように「寛容になった」と言われましたが、自己認識としては「以前と比べて相対的に寛容になっただけで、絶対値としては長い道のりがある」と思います。

私自身、もっと物事に寛容で、泰然とし、向き合い、心情を解する人であれたらと思っています。しかしなかなか難しい時もある。盲目になって客観視できていない時もある。

  • しんどい
  • 今後なにをしよう

そんなふうに思う時は、修練の時なのだと、私は思うようにしています。そうすると、人生やるべきことはたくさんあるのです。

たのしいときはそこまで深く考えないのです。なのでしんどい局面というのは、沈思黙考し客観視する機会を得られることを意味し、人生で時に必要なことでもあるのだと、私は思います。

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