フェンシー(分析)をすることで、教訓を得て前進できる
昨日、親友と呼べる友人と会いました。
友人たちのご多分に漏れず彼も俊英で、やはりひとかどの人物であり、互いに尊敬し合っている仲といえるかと思います。
彼と会って、本当によかったと思いました。かなり深い、人生の話になりました。最近思い考えていたことが、相当氷解したように思います。
ハイキングをし、温泉に入り、酒食をともにしました。
フェンシーをすることで、前進できる
彼とは中学の頃から、フェンシー(中国語で「分析」の意)をし合ってきました。ここでいうフェンシーとは、具体的には以下の活動です。
- 物事や人間心理、人生体験、失敗や落ち込むことがあれば、
- 洞察し、探究し、何を教訓とできるか、同じ失敗をせぬためにどうすればいいか
そんなことを真剣に話し合うのです。
正直、一時期は「そんなフェンシーなんてしてたら辛気臭いし、あんまり深く考えんとこ」と思った時期もありました。
ただやはり、フェンシーは人生において重要な意味を持つのだと思います。
フェンシーをすることで、人生の各局面における出来事に対して、親友の視点もまじえて俯瞰をし、客観視をし、そして教訓を得られます。
そうすることで、年齢を重ねて成熟を見ることとなり、そして同じ失敗を繰り返しにくくなると感じるのです。逆に言えば、そうした内省を経ないと、歳をいくら重ねても同じことを繰り返してしまう可能性が高まるのではないでしょうか。
歳を重ねて自然に成熟できる度合いには限度もあるように思います。苦労やしんどいことも含めた人生体験から都度教訓や学びを深く得た人がさらに前進できるように思うのです。
なお人生の話をするには、自分の内実もさらけだす必要があります。それだけの信頼が互いの土壌としてあることが前提として求められる、とも言えます。
ですから、フェンシーをするには、親友の存在は大きいのです。自分だけでは客観視に限界があります。有能で尊敬できる親友の視点も交えるからこそ、気づきや学びが倍化します。