家事をやりきることは、結局自分のためにもなる
最近あらためて思うこと。
それは、家事をやりきることは、結局自分のためにもなるということ。
我が家では妻が平日はたらきに出ている(または在宅勤務)ので、平日はすべて私が家事をやります。
- 料理
- 洗濯
- 掃除(部屋、お風呂など)
- 買い出し
- ゴミ出し
- 窓の結露ふき
なんていうんでしょうか。あくまで個別事例なので一般化するつもりは毛頭ありませんが、私の場合は自負が生まれると感じます。
ここでいう自負とは、「日頃からやったほうがよいことを果たしている」ということです。
すると、こちらも気持ちよくみずからの理念を多少なりとも貫きやすいと言いますか。
一例
たとえば会社でもそうだと思います。
- 日頃から職責を全うしている人
- そうでない人
有給休暇や育休を取得しやすく、周囲からも許容されやすいのは、①のほうですよね。
しかしこれは、相手が共通の価値観を有している前提です。たとえば、一方が「片方が家事をやって当たり前」という考えならば、もう一方は聖人や特殊な状況でもないかぎり、いずれ我慢ならないでしょう。
聖人でないかぎり、やっていることはだれかに認めてほしいし、なんなら感謝されたいですものね。私だってそうです。
なにが言いたいかと言うと、「家事を全力でやることは、結局自分のためにもなる」とのたまっているものの、これは一定の条件下(=相手に理解があり、家事をやってもらって当たり前とは思っていない)でのみ成り立つことである、という補足です。
家事にかぎらず、
- やるべきだと思うこと
- やったほうがよいと思うこと
を日常で積み重ねることは、見識や世界観を広げるだけでなく、自信と自負または誇りにつながり、だからこそ負い目なく自分の主義や理想も貫きやすくなり、悔いなき人生につながると思うのです。
もちろん、再度補足しますと、そうでないケースも多々あると思います。当人がいくらやるべきだと思うこと、やったほうがよいと思うことを果たしても、さまざまな外部環境や人間関係が支障になることもあります。
だがしかし、たとえそうであっても、「私はやりきった」「責務を果たした」といった肯定感と自負は少なくとも生まれるのではないでしょうか。
ですから、たとえどのような状況であっても、家事にかぎらず
- やるべきだと思うこと
- やったほうがよいと思うこと
こういったことを日常的に果たしていくことが、連綿と満足のいく人生につながるとわたしは思うのであります。
(とのたまいつつ、常にできているわけではありません 笑)